お義母さんと私。
私とお義母さん(オモニ)の最初の出会いは仁川空港である。イタリアに住んでいた私は妊娠をし、初めての挨拶が大切な跡取りを妊っている時だった。元々、両親に紹介したいとのことで、彼の夏休みを利用して韓国行きのチケットを予約していた。その紹介が彼女としてではなく、まさかの嫁となってしまったのだから、さぁ、大変!
初対面は、長いフライトにつわり真っ最中の私は、化粧すら匂いに敏感で出来ず、顔には酷い吹き出物。どんな両親なんだろう、言葉は通じないけどどうしよう、なんて思う余裕もないくらい初めて経験する妊娠のホルモンの変化による急激な身体のだるさが私を襲っていた。
ただ、会うなり何も言わず私を強く抱きしめてくれた。ただ、無条件にまだ会ったことのない、外国人の女を受け入れてくれているように思えた。今振り返ると、見知らぬ相手を無条件に受け入れるってとても難しいことなのに、お母さんの偉大な懐の大きさを感じる。ただ懐の大きさなんかではなく、息子を信頼しているからこそ出来ることなのかなと、自分も母になり感じる。
結婚した当初はすれ違いばかりであった。お母さんは待ちに待った嫁に、理想の嫁としての振る舞いを求めていたし、私は私で、言葉の壁と、何をしても、ダメ出しをされているようで辛かった。会う度にストレスで、何かどこかいつも私を見張って評価されているようで苦痛だった。
結婚13年目。そんな私が日本に現在滞在していて、初めてお義母さんの誕生日のお祝いが出来なかったので、プレゼントとお手紙を日本から送った。(韓国では義理両親の誕生日は一大イベントで嫁の大きな仕事である家庭が多い)
その手紙がこちら。
お母様 お誕生日おめでとうございます。私が嫁になり初めてお誕生日のお祝いを一緒に出来ず、申し訳なく、心が痛いです。最初の頃は外国人の嫁で会話も難しく、私が分からないことも多くて、お母様とっても辛かったでしょう。その当時は嫁としての仕事もよく分からず、お母様、お父様の立場を理解出来ず、申し訳なく、お互いが大変な時期だったと思います。ですが、その時期があったからこそ、今、こうやってお母様と良い関係が築けていると信じます。こんな嫁を受け入れてくださって、いつも応援と理解をしてくださってありがとうございます。来年の誕生日には旅行にでも一緒に行きたいです。お母様がいつも健康で、良い事がたくさんありますよう願っています。いつも感謝して、愛しています^ ^すぐにお目にかかります^ ^
お母さんに手紙をこんなに長く書いたのは初めてだが、心にある気持ちをそのまま取り出しただけなので、スラスラ書けた。
お母さんは手紙を読んで、感情が溢れだし、声を出しながら大泣きしたと。
自分の見えている世界は自分にしか分からないが、お母さんたちが生きてきた過程のなかで生まれる世界観も私には分からない。
難しくてこの関係から逃げたいと思ったことも数えきれないし、今でも発言や行動に疑問符がつくことも多い。お互い違う世界観で生きてきたのだから、当たり前だ。でもこうやって、生まれた年代も国も違う2人が心を通わせるって改めて素敵な事だと手紙を見て思う。
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