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芭蕉の句で見えるもの

自然は、移ろう。

月は満ちるし、雨は止む。

世の中が”無常”なことはなんとなく、了解している。


でも、いつ?いつ変わっているのだろう?

月をずっと見つめていたら、満ちる”瞬間”が見えるだろうか。
雨をずっと見つめていたら、止む”瞬間”が見えるだろうか。

きっと、見えるのだと思う。”ずっと”見続けていたなら....。


わたし達は、なかなかその瞬間には立ち会えない。

気がつけば月は満ちているし、気がつけば雨は止んでいる。

でも、芭蕉は違った。


芭蕉は瞬間をつかまえる。

月が満ちる瞬間を見ている。
雨が止む瞬間を見ている。

芭蕉にとって、自然が移ろう瞬間は、心が動く瞬間と一致している。


池に映った満月の輝き、梢に残った雨粒。

芭蕉はなぜ、ずっと見続けられるのだろう?

...もしかしたら、芭蕉は”自然を見ている”のではないのかもしれない。
もしかしたら、芭蕉は”自然になっている”のかもしれない。


もしそうなら…

きっと、芭蕉は今も風になってわたし達の間を駆け廻っている。

きっと、わたし達は、芭蕉の夢の続きを見ている。

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読んでいただき、ありがとうございます!

今回参照した句はこちらです

≪名月や 池をめぐりて 夜もすがら≫
≪月はやし 梢は雨を 持ちながら≫

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ひろかむ(岡潔とモンテッソーリ)
ひょっとしてサポートをいただけるかもなんて思っているからこそこの説明文を書いているわけですが、貴重すぎるのできっと記念にとっておいたりするのだと思います!「日記でお金をいただけた記念!」とかいって。そして、そんなこと言いながら息子の絵本を買ったりするのだと思います...!