大人の領分 「ハイライト」
【あわせて読みたい:これは付録付き一話完結連作短編集『大人の領分』のハイライト集です。こんにちは世界がついつい読み直している部分を抜粋してお届け!ネタバレしないように頑張りました、通読特典:走馬灯、未読チェック:なんでこうなるかって気になる、通行人さま:こんにちは世界ですこんにちは、私へのご褒美:「来た、見た、勝った」、私はお話を書くのが大好きです。ほか】
こんにちは! 相も変わらぬご挨拶、こんにちは世界です。こんにちは。
か、かけた…という喜びは何にも増して嬉しいものです。書き手さんにはご理解のことと思います、しばらく時間が経ってから自分の作品を読み返す喜びもまた、ひとしおです…。というわけでタイトルの通り、『大人の領分』で私が好きなところの一部を、ここにまとめてみました!
私はこう、オルゴールを開くような気持ちで読んでいただけたらって思ってまして、だからもしも…もしも、気に入った音楽を何度も聴くような仕方で、読んでもらえたなら…こんな喜びは、ありません…。
[…]何十年もかけて、なんにもない、茅瀬のいない世界を旅して、やっと茅瀬を見つけたんだ。[…]
茅瀬。茅瀬が好きだと思ってくれるのが、俺には一番なんだよ。茅瀬がいいと思ってくれなきゃ、ただ俺が気持ちいいだけで終わっちゃう。そんなの、勿体無いんだ。俺には本当に、大事な時間なんだよ、もっと好きになってほしいんだ。もっと、俺の体、好きになってほしい。
もう、こんなに、好きなのに?
もっとだよ。
凛:だって不安になるでしょ。あんな風に生きてて怖くないのかな。寂しくないのかな。茅瀬といるとね、茅瀬は私に何にも求めてないんだってわかって、それが怖いの。
ああ、射精しそうだ。
愛おしいなんて、照れくさい言葉、恋愛では一生使わないと思っていた。でも他に、なんと言えばいい? 慈しんで愛おしむ相手がいない、全ての不幸な人間に、この光を浴びさせてやりたいくらいだ。梨恵が、愛おしい。
[…]ほんの軽い、ふんわりとコーヒーの匂いのするキスをした。したというより、泡のように、浮いて消えたという感じだった。
薫さん、浮気したことないの…?
敦の声はやけに落ち着いて聞こえた。
…。あるわけないよ。あっても…言えないでしょう、そんなこと。
ふーん、じゃあ、ばれないように、気をつけないとね。
敦は詢そっくりの顔で、詢より少し低い声で、そう囁いて、優しげに微笑んで…薫の口角にもう一度、キスしたのだった。
松:[…]薫が、あんな風に笑ってて、その隣に僕がいるんなら、僕の話なんて、どうでもいいよ。薫の話がわかんなくたってね。どうせ話なんて、「かわいい」一色に吹っ飛んだ頭じゃ、なんにも入んないもん。
大人な詢の、こどもの国。[…]薫が締め切りに追われて部屋にカンヅメになり、励ましつつもなんだか拗ねた気持ちになり、しかしながらベッドが広いから久々に大の字になって伸び伸び寝る、静かな夜。が明けた頃、隣にちょこんと眠っている薫を見つけ、布団をかけ直してあげて、まつげを触ると薫がぴくりと動くのを、会えてよかったな、って眺めていたら、幸せで、涙が出てきて、もう一度、ああ、会えてよかったな、と、思う、朝。
下から見上げる彼女の身体の凹凸と曲線は、とても、エロティックだ。入れてるだけでいっちゃうなんてすごい。地味だからって彼女は恥ずかしがる。構わない。自分自身で、いてほしい。それに、その顔、その紅潮した幸せそうな顔の、どの辺が地味だろう? 今まで他の男に言われてきたことは全部、忘れていいんだ。とらわれる必要なんかない。
俺はともかくさ、佳奈がセックスに夢中になるのはね、見る価値あるんだよ。結構ね、こういう、とろん、としたとこ、見るの好きだったりね。俺、佳奈とするの、大好き。
キス? セックス?
んー。いまは、キス。
佳奈との恋愛というのは…なんと言ったらいいものか、難しいのですが、その、明るく軽い感触に反して、薄寒い、暗いものです。佳奈は男性に、この柄杓で私の舟を沈めてみて、と言って、暗闇に煌々と光る柄杓を渡します。実は柄杓には底がないんですが、光の加減で気づきにくい。佳奈の乗る舟が岸を出る。男性は少しくらいならと足を踏み出します。はじめは浅瀬で、水も軽い。そのうちに水が深くなってくると、男性はあと少しくらいならと、片手を佳奈に引かれ、泳いで付いていく。もう一方の手、渡された柄杓で水を注ごうとするのですが、底がありませんから、当然、汲めもしなければ、注げもしない。男性は手元に集中するあまり、泳いできた距離の感覚が狂っています。あるとき、佳奈が手を離す。舟には笠で顔は見えませんが、男の漕ぎ手がいて、佳奈のほうは見ずに、淡々と舟を漕いでいる。ゆっくりと、しかし確実に舟が離れていきます。男性は舟に導かれるうちにいつのまにか、暗くて冷たい沖のただなかに来ていて、ぽつんと、なんの用途もない光る柄杓を握りしめて浮いている自分に気づき、途方に暮れたのち、やがて泳ぎ疲れて、溺れ、沈んでいきます。
武:部分は全体に勝てねえんだよ。人間はみんな平等で、俺が尊いように奴も尊いし、奴が尊いように俺も尊いわけだ。
柏:話が大きいようです。
武:まあ俺は、バカは自然の一種だと思ってるからな。ユキと接するのは人間関係っていうよりは、ナイアガラの滝観光とか、サバンナ周遊とか、アマゾン探訪みたいなもんだな。
柏:はあ。大きいですね。
武:大バカなだけにな。
[…]澪里は、物心がついた時からのあれこれのできごとや、澪里が35年にわたって出会ってきた人たち、そのあいだに考えてきた、いくばくかは難しいと言えるようなことについて、説明する必要があると感じるし、それを伝えない限り、何も伝わらないと思う。とはいえこれを、ひと言で言い表すこともできる。澪里はここで時間を潰している、とか、澪里はぼうっとしている、とか。あるいは、もう少しなら、詳しく言うこともできるだろう。澪里は、自分が苦悶の表情で柚希さんのベッドの上に立ち、「服従のポーズ」をしている、カラープリンタで印刷されたA4用紙を手に持っていて、こういう…なんというか、人生の、見るに耐えない複雑さについて、ついに考えるのを諦めようとしている…とか?
タ:[…]柚希が見つめてる、この私は、ほかにどうしようもなく完全に、私なんだ、そんで、私はいま、生きてるんだ、って思うんだよ、とにかく。それはとても、素晴らしい体験なの。
柏:なにやら魔法みたいな話ですね。
タ:ううん。あまりにも真実で、あまりにも現実で、だから、泣いちゃうの。自分はなんて大切なものを、持ってることに気づかずに、そんなものがあるとさえ思わずに、生きてきたんだろうって、びっくりして、悔しくて、嬉しくて、泣いちゃうんだよ。
タカラくんは顔を上げ、ハルカを見つめ、涙を浮かべながら、吐き出すように、言葉を絞り出しました。
僕は、蓮を、幸せにしたい…。
そりゃまあ、なんて言っていいかなんて、わかんない。頼っていいかもわかんないですよ。何の話をしていたのか忘れそうなほど、痛いくらいのあいだ、長らく黙り込んだ穂南海に、柚希は言いました。
ねえ、あなたは何も失わないよ。誰も、あなたから何かを、奪ったりしない。見て。あなたたちの居場所が、増えるだけ。
穂南海は柚希を見つめました。
二人は静かに見つめ合い、やがて、穂南海は涙を滲ませながら、ほんとうに、こんなこと…と呟きました。信じられなかった。信じられなかったのは、柚希をじゃない。
穂南海は本当に、何も失っていなかったからです。
穂南海は、蓮にはただ、蓮の思う通りに育って欲しいと思ってまして、英才教育はべつだん、望んでません。強いて言うなら、人間がどうやって社会を営んでいるかについての知識を得て欲しいと思っていて、美しいものにたくさん触れて欲しいと思っています。が、そんなこと、蓮に関して言えば、こちらから敢えて与える必要などないのですね。なぜなら、蓮という人を前にして何かを与えられるとすれば、それはすぐに蓮に追い抜かれてしまうような大した背景もないただの知識ではなく、蓮に接する自分が社会にどう関わっているのかを自ら理解し、この地上で自分が生きているということについて、蓮に伝えることだからです。美しいと思うものを蓮に押し付ける前に、自分の心に問うべきことがあるわけですね、だって、蓮に接する人々が、美しいものを見たときにそれを心から美しいと思える人々だったこと、彼らがみな美しいものをためらいなく、嘘偽りなく美しいと思えてきたことこそが、蓮という人の心の大地を、これほど豊かに、育んできたのですから。
『大人の領分』全6篇を書き終えて、また、書くのが好きになりました。
もっともっと、私の世界に住んでいる、色んな人に出会いたい。
読んでくださった皆さまに、こんにちは世界はいま、深く深く頭を垂れています。ありがとうございます。また、次の一歩を、踏み出します。どんな時も歩き続けることだけがたぶん、私に表現できる精一杯の、感謝の気持ちです。
私は話を書くのが、大好きです。
以上です。
シリーズ完結祭!第一弾は書き手による書き手のためのあとがき:
ついについに付録のあのコーナーの総集編が!: