寛容性をオンラインで!
オンラインの居場所ハロハロラボだからこそ、学校では学べない寛容性を子どもが知らず知らずに体得できると感じている。
学校では「忘れ物撲滅」「無言清掃」「持ち物のルール」などがちがちのルールでやっていることがある。教員に対し児童が多いため、管理中心にならなければ学校が運営できないということがあるのだろうが、わが子の学校のルールはとてもがちがちで(にしては、マスクは自由💦)筆入れに入れる鉛筆の本数まで指定されている。
日本は電車はとても正確だし、店員さんはマニュアル通り。だが、これが生きづらさの原因なのでは?と思ってしまう。きちんとすることが目的化し、それを外れた場合、許されないし他者を許さないようになってしまうからだ。
学校で忘れ物を決してしてはならないということは、自分が忘れ物をした時は厳しく言われてしまうし、誰かの忘れ物を許せなくなる。
人は完ぺきではない。間違いだってするし忘れ物だって、寝坊することだってある。それを寛容性で補いあえればもっと生きやすくなるのにと思う。
ハロハロラボはオンラインの居場所なので、ZOOMが時折通信状況で止まってしまったり誰かが落ちてしまったりする。子ども達は慣れたもので、ゆっくり待っているし、帰ってこなくてもそんなに気にしない。戻ってきたらまた再開するし、例えばZOOMで描いていた絵が消えてしまっても相手を責めたりしない。その環境に慣れたことにより、状況を大らかにとらえ、誰かの失敗や間違いを寛容に受け止められるようになっているからだと思う。とても優しい子ども達で誇らしい。
学校では、間違いや失敗は許されないように見受けられる。わが子の担任は「絶対に100点を取ってください」と言ったそうだ。100点を目指すのは大事だが、それによりプレッシャーになったり、取れなかったときに「自分は無能だ」と落ち込むわが子をみて私はとても悲しくなった。無能などと思わせることが学校で、教員の発言から、子どもに対して決してあるべきではないと憤慨している。
自分にも相手にも寛容に、失敗や間違いに大らかに、それはお互い様で誰しも失敗も間違いがあるし、迷惑はかけあうものだという認識が広がっていけばと願っている。
そういう点で、のんびりゆったり、参加も不参加もお休みも自由のハロハロラボは許容されているようで、学校とは違い、ほっとする。
(文責 ハロハロラボ広報チーム 智)
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