金子みすゞの死因
ツイッターで、とあるツイートが回ってきた。
「金子みすゞ 死因」
気になって、調べてみた。私も相当性格が暗いのかもしらん。
な、なんてことよ…。
めちゃくちゃ気分が落ち込んで、終了した。
金子みすゞの詩で代表的なものといえば、「鈴と、小鳥と、それからわたし」の、「みんな違ってみんないい」だろう。
たしかこの詩を知ったのは小学生の頃、塾で受験勉強をしていたときだった記憶だ。
わたしはこの詩にとくになんの思い入れもない。みんな違ってみんないい。なんとも思わなかった。そうだね、くらいは思っただろうか。この詩に執着している国語の教科書に面倒くささを感じていた。わたしは「物語文」が好きなのだ。詩や短歌は、自分で作るほうが好きだった。
わたしが今まで心を打たれた詩は、なにかあったろうか。俵万智さんが浮かんだけれど、彼女は短歌だ。
詩と短歌の違いってなんだ?
俳句・短歌と詩は、一定の詩型があるかどうかで異なります。
一定の詩型がないものを「自由詩」、一定の詩型がないものを「定型詩」といいます。
詩は自由詩であり、俳句・短歌は五七五・五七五七七という決まった詩型があるため定型詩に分類されます。
…ふむ。
わたしはあまり、生きるということについての詩に、感動しない習性がある。
生きるとか死ぬとか、あと自然だとか、そういったものにあまり興味がない。そういった人生の情緒を詠うものに、心惹かれることがそんなにないことに気づいた。
その点、俵万智はバランスがいいのだ。人生の情緒を詠うことはあっても、それだけじゃない。恋情の駆け引きや切なさ、儚さなどを詠ってくれる。そうか、わたしは恋に溺れた男や女の詩や短歌が好きなのだ。学生の頃、漢文や古文の授業で男女のもつれ話がでてくるとめちゃくちゃ楽しかった。想いを歌にする彼らの、言葉の遊びかたに粋を感じた。
恋に溺れて気が狂っている男女の物語が読みたい。もうすぐ寒くなってくるので、赤ワインを飲みながら、そういう話に囚われたいと思う。
嬉しい!楽しい!だいすき!