【地方病(日本住血吸虫)】
子供の頃に川で泳いだことはあるだろうか。川釣りや川遊び、あるいはキャンプで汚れた手を川で洗ったことくらいは誰しもあると思う。
100年前のある地域では、そんな行為は半ば自殺行為に等しかったと言ったら信じられないかもしれない。
この記事は、ある地方病の発見から根絶に至るまで、100年以上にわたる人と病との戦いに関する記事である。
長年地域を悩ませていた風土病を調査していたある医師が、寄生虫が原因であることを突き止めた。
寄生虫が原因である、というと
「よく分からんが川に寄生虫がいるんなら川の水を飲まなければいいんじゃないのか?」
と思うかもしれない。
しかし恐ろしいことにこの寄生虫は皮膚から体内に侵入する。
冒頭で述べた通り川の水に皮膚を晒すだけで寄生されるのだ。
これでは盆地の農業従事者からすれば感染しない方が難しいというものだ。
その他にもこの記事には伝承に記された戦国時代から江戸時代に至るまでの歴史や、幕末に生まれたこの病に関することわざ、寄生虫の発見当時忌避されていた人体解剖に自らの遺体を提供したある女性の話(冒頭の言葉はこの提供者の言葉とされる)、戦後から貝の撲滅に至るまでの経緯といった見どころが多くあり非常に読み応えのある記事となっている。
中でも寄生虫発見者である三神三朗氏の辞世の句「川中で 手を洗いけり 月澄みぬ」
という句には医者として生涯地方病と戦い続け、道半ばで倒れた氏の無念が詰まっている。
甲府盆地では、川で手を洗うという当たり前のことにすら命の危険があり、氏は様々な研究の末に原因は突き止めはしたが生涯かけても根絶出来なかった。
晩年は先述した遺体提供者の墓を参る生活だったらしい。
一体どのような心境で墓前に手を合わせていたのかは想像して余りある。
その無念を晴らすかのように後世の人々は貝を徹底的に殺した。中間宿主である貝を介さなければ人に寄生しないのだから当然と言えば当然だが、とにかく徹底的にこの貝の駆除に心血を注いだ。貝を集め埋めて焼いて、それで駄目なら石灰や薬を撒き、しまいには甲府盆地の用水路をコンクリート化した。このコンクリート化した総延長は沖縄から北海道ほどまであるそうな。
それらが幸をそうし、1978年から新規感染者がいないことを踏まえ、寄生虫の発見から百年以上経った1995年にやっと地方病終息宣言がなされた。
余談だがこの記事はwikipediaの中でも特に有名な記事の一つだ。私がwikipediaの名言を集めるにあたって「wikipedia 面白い」という雑な検索に真っ先に引っかかったのがこの記事だった。昨今のコロナ流行を踏まえ、原因が貝という目に見えるものであったとしても感染症と人が戦い根絶にまで至るには莫大な労力と時間と金がかかるのだといういいモデルケースだと思い、この記事からwikipediaの名言集を始めようと考えた。
日本住血吸虫症は寄生虫の発見から100年以上かけて根絶宣言がされた。
果たしてコロナウイルスの終息宣言は私が生きている間になされるのだろうか。
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