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春がきたら、雨を待って

小学生の頃、春に降る雨が好きだった。

山に色彩が戻り始め、吸い込む息が生暖かくなってきた頃、それは突然やってくる。

春休みが終わりに近づいた雨の日には、遊びにいけないと友達に電話をして、ぼんやりこたつに入り浸りながら窓の外を眺める。

時々軒下に出ては、シャボン玉をふかす。ある一点を越えると、パチンと割れて雨に溶ける。

そんな気だるい時間が好きだった。誰もいない秘密の昼下がり。


中学2年生に上がって、最初の授業は国語だった。

折り目の付いてない教科書の1ページ目には、詩が印刷されていた。


淡き光立つ 俄雨

いとし面影の 沈丁花

溢るる涙の 蕾から

ひとつ ひとつ 香り始める


歌も楽器も好きではなかった私は、それが有名な曲の歌詞だとは知らずに、引き出しの一番上を誰かに見られたかのようにどきりとした。なんでこの女の人は、私だけの時間を知っているのだろう。

俄雨を我雨と読み間違えてしまうほどに驚いた。これは私の雨でもあるのに、と思ったのは先生が漢字を黒板に書いた時に違うと気づいた。

沈丁花がなんだか知らなかったが、そんなことは関係なかった。きっと春の匂いをいっぱい詰め込んだ小さな花なんだろうと思った。


私が大人になったからかわからないが、ここ数年ゆっくりと季節を味わうことが少なくなってきている。桜がやってきたと思ったら、エアコンをつけなくてはならないし、やっと長袖になったと思った途端、床暖が働き出す。最近の1年はずいぶん大味だ。

私の春の雨も例外ではない。この前も雨が降ったけれど、そんなにふんわりしたものではなく、ベンゼン環が染み付いたような冷たい匂いがした。

昨年まで、横浜の隅っこの方に暮らしていた。散歩道の近くに、春になると香り出す木が柵に植えられた家があった。その匂いをかぐ度、花びらばかりの春を感じられた。

雨が降っても花は落ちずに


それが沈丁花であると知ったのはつい最近のことだ。

あの人は、私の春を全て見透かしているみたいだ。






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