碧梧桐の三千里を追え!〜千葉編〜
いま、有志で碧梧桐の三千里の旅路をGoogleマップのマイマップに落とし込む作業をしています。
みなさまにマッピングしていただいたのを、探訪舎メンバーでチェックしています。
調べていくうちに、ほ〜面白いわねという発見があったところを覚えている限りメモしていきます。
引用は全て以下からです。
河東碧梧桐著『三千里 上』講談社学術文庫、平成元(1989)年8月
汐見の臥竜松(千葉県館山市)
単純に「汐見の臥竜松」で検索しても全然ヒットしない。
↓安房郡札三十三観音霊場(辰歳観音)の三十番 に「松の堂 館山市塩見220」がある。汐見地区のお寺はよっぽどココなのではないか、と想定。しかしこの住所で検索されるところにお寺が無い……。
↓地図を発見、松の堂がある!
https://tateyamacity.com/pdf/w_map/a11_kouyatsu.pdf
↓とある個人ブログに、松の堂や臥竜松の看板の写真が掲載されている。
ブログで松の堂の外観が判明したため、Googleマップのストリートビューで探し、場所判明!
小学校の上の宿
これは三千里を読んでいた友人から教えてもらった。
三千里ではこの、オルガンが聞こえるくらい小学校がすぐ近くにある宿の名前は書かれていないが、この「富崎館食堂&キャンプ場」の前身である「富崎館」が明治時代から続いていた小さな民宿であり、さらにそのすぐそばにある「富崎小学校」は明治39年の時点で存在していたため(しかし平成29年に閉校……)、恐らく宿はココ。
富崎館食堂&キャンプ場について↓
富崎小学校について↓
ちなみにこの富崎からほど近くに布良(めら)という地区があり、碧梧桐が明治39年に訪れた2年前、明治37年に青木繁がこの場所に訪れ、「海の幸」を描いた。
碧梧桐が海岸を歩きながら見た景色は、この「海の幸」のようだったのではないかと思ったり……。
波太島
こちらも、単純に「波太島」と検索してもヒットしない。
そこで碧梧桐が直前に訪れた「太海(波太)」という地域をマップ見てみると、太海港から一番近い島が「仁右衛門島」とある。
碧梧桐はこの島について「島主は仁右衛門で通っておる。」と言及しており、波太島はいつのまにか島主である仁右衛門の名を取るようになった?
仁右衛門島のサイトを見ると、碧梧桐が言及していた「頼朝のかくれたという岩窟」が今もあることがわかる。
鯛の浦
どうやらまだあるというか、現在もかなりアツい観光スポットであることを知る。ホームページを見たら英語翻訳機能が付いていたので、インバウンド客も来ているっぽい。
碧梧桐の文章には「信心」という単語が頻出しているが、現在も「神秘の鯛が現れたら幸運が訪れるスピリチュアルクルーズ」として紹介していて、なんというか100年前とスタンスが変わってなくて面白い。
成東鉱泉
明治34年創業、ラジウム鉱泉が人気の温泉旅館で、文士も多く泊まったが、昭和5年にお家騒動で廃業。今は碑や井戸が残っているそう。
碧梧桐と同じく子規のもとにいた歌人の伊藤左千夫がここ成東の出身で、彼の歌碑が建っている。
宿ができる前にこの場所に元々あった浪切不動院は現存。
続く……
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