再び、旅路に
私は、クリスチャンではなく、
どちらかと言えば、多神教的な生活実感のほうが、
よりナチュラルに心に馴染むのだが、
心が荒れ、苦しむ時に、
イエスは、私の側にいて、見守ってくださっている。
そして、私と共に、歩もうとしてくださっている。
と、そんな風に、感じることがある。
あるいは、そう思うことで、そう感じることで、
私は、私の心の沈みを、少しでも癒そうとしているのだろうか。
棚にしまってある、イエスの物語りに関する本や、
あるいは史的イエスに関して書かれたいくつかの本を、
久しぶりに、手元にまた置いてみたいと、思った。
前職(対人支援)を離れてから、
何となく、そのような感覚と、若干距離を置いていたかもしれない。
今また、私は、私の心の原点のようなものと、
向き合い、触れ合いたいと、所望しているのかもしれない…。
そして、それをまた新たな形で、
いまの仕事に、これからの生き方に、
甦らそうとしているのだと思う。
また新たな山を、歩んでゆくために…。
これまでの旅を、また違った形で、生かしてゆくために…。