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8月30日:放デイの現在地〜為政者の想いと家庭のニーズの溝。
おはようございます。
8月のイベントラッシュを終えて燃え尽き症候群気味の安部です。9月にはYoutubeライブ配信と教育イベント1件が決まっているのですが…あと1つか2つ何かやろうと思っています。
さて今日は放デイで働きながら考えたそれぞれの思惑や期待値の相違について書いてみようと思います。
1)放課後等デイサービスの仕組み
「放デイ」は、極めて簡単に言えば障害児の学童。営業時間は学童と同じ、主に放課後。
療育手帳や障害者手帳、医師による診断書があれば利用することができ、世帯収入にもよるが医療と同じく1割や3割の負担で利用することができる。
加えて世帯への請求金額には上限があるため、大半の世帯では月に数千円+おやつ代程度で何日でも利用でき、送迎がつく。
夏休みなどは「日中一時支援」という制度と合わせて利用することで朝から夕方まで利用することができ、その際も弁当を持参するか別途昼食代が発生する程度。
要するに障害児を持つ家庭にはとっても優しく便利な制度だ。
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2)家族のQOL
詳しい研究論文などは割愛するが…子どもの障害の有無と家族(主に保護者)のQOL(生活の質)の相関関係を調べた研究がわりと行われているようです。
様々な角度から分析しているため「共働きか否か」や「父(母)の働き方」などとの相関も分析されているが…語弊を恐れずとってもざっくり言えば、やはり「子どもに障害があると保護者のQOLOが下がりがち」というのは事実のよう。
実際…
放デイを利用している家庭には「子育てに疲れている」というところも少なくない。
わが子の人生も自分の人生も…明るい展望を持つどころか…そもそもわが子の障害に起因する苦労が「永遠に続く」かのように感じて疲弊しきっているケース。下手すれば多数派なのではないかと思う。
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3)保護者が放デイに望むもの
疲弊し切った保護者が放デイに期待するものは…まず何よりも安定して通い続けることだろうと思う。
可処分時間も可処分精神も大幅に削られ、子の成長や発達による生活の変化を想像することもできない。
前提となる知識や経験もないから「接し方によって子どもの行動が変化する」という当たり前のこともわからず、諦めのような気持ちも大きくなる。
だから
とにかく預かってもらえればいい
というのが多くの家庭の実情だろうと思う。
そして、だからこそ多くの放デイは成り立っているのではないか。
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4)競争原理が働きにくい
受験のように数値化されるものでなければ、基本的に教育(療育・支援)の結果はほかと比較することが難しい。
障害の程度も個々に違う。
わが子の人生も一度しかない。
だから
ほかの施設に通っていたらもっと成長したかも…
と考えることもできないし、考えたところで比較することは物理的に不可能だ。
放デイでの日常は親には見えないところで動いているし、わが子の話は多くの場合、比較検討の材料としては具体性を欠く。
検討材料になる話があったところで、子育て素人(別に保護者を批判する意図はなく、僕も含めて家庭教育は基本的に素人が行うものだ)にはそれを検討することもできない。
軒数が少ない上、自分の目で見ることもできない現場。そして見たところでそれが効果的なサービスかどうかを検討する予備知識は多くの保護者にはない。
必然的に放デイには競争原理が働かない。
ある程度の人口密度があればそこに必ずニーズはあり、利用料の大半を行政が負担する以上、認知さえされればそれなりに利用者は見込める。
加えて…
預かってもらえるだけでありがたい
という顧客(保護者)側の低い期待値。
専門性の低い施設運営はある意味で必然とも言える。
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5)為政者の想いと思惑
政治というのは弱者に寄り添うものだ。
「弱者」にも様々な立場があり、時にはそれが衝突するから、議員次第でその主たる政策や考え方は異なるが、基本的に政治は弱者に寄り添うもの。
障害児のいる家庭への施策の一つとして放デイが誕生するのも当然と言える。
が
当然ながら議員自身に様々な障害に対する専門的な知識はない。従って、政策論議には「専門家」が招聘されることになる。
個々の障害に応じた療育の必要性はかなり強調されただろう。
専門家がそう言えば議員の多くはきっとこう思ったはずだ。
有資格者を集めて施設を運営すれば、正しい療育が展開され、子どもの成長が促されるとともに家族のQOLも向上する。
その想いは正しい。
ズレていたのは現実への認識の方だ。
弱者に寄り添い為政者としての責務を果たす…そんな思惑や純粋な想いとは裏腹に…法令が掲げる理念と放デイの実際には結構な開きがある。
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6)療育が形骸化する要因
事実として多くの放デイではきっと「療育」は形骸化している。そこには様々な要因があるだろう。
まだ関わって日の浅い僕が語弊を恐れず書くならば、そこにはきっとこんなものがある。
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。