『君たちはどう生きるか』備忘録
個人的な感想の備忘録
ネタバレ含みます。
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宮崎駿の考え全てが詰まっているような映画。映画の中ではジブリ過去作の雰囲気が節々に感じられた。『火垂るの墓』『千と千尋の神隠し』『アリエッティ』『ラピュタ』『となりのトトロ』etc…映画の中でそれらが所々散りばめられていてジブリの過去作を想起させる。
ただ過去作へのオマージュなんかでは決してなく、むしろ宮崎駿が頭の中で考えてきた世界観全てが『君たちはどう生きるか』に詰まっていて、宮崎駿の描きたかった一部が各々の過去作に垣間見えているだけだった。
誰かがTwitterでつぶやいた「今作は宮崎駿の原液であり、今まで見ていたのは宮崎駿の水割りでしかなかった」という言葉こそ言い得て妙。
タイトルには色々な解釈がありますが、この映画に抱いた多くの疑問や複雑の状況を思考し続けることも「どう生きるか」を考えることに繋がっているだろうし、映画の中でキーポイントにもなった「悪意」があるこの世の中でどう過ごしていくか、現実をリアルタイムに生き続けるのも「どう生きるか」であるんじゃないかな。
本当に偶然だろうけど、ここ最近は悲しいニュースが多くて誹謗中傷が行き交う悪意に満ちた世界なんてなくなってしまえばいいのに、と感じる。一方でやはり悪意が完全にない理想の世界なんて存在しないし、存在したとしてもそれは誰かによって作られた世界であり、小さな箱庭の中で生きているに過ぎない。
悪意を持つことではなく、悪意に気づくこと、認めることが今回の大切な部分なのではと個人的な思い。積み木に対して「墓と同じ悪意のある石だ」という1回目のセリフと、大叔父が悪意のない積み木を持ってきた時に言った「この傷は自分でつけました。僕の悪意の印です。僕はその石に触れません。」という眞人の台詞には、悪意の気づきに変化があると思う。1回目は石に対して悪意があるから触れられないという意味合いで、2回目は自分自身に悪意があるから触れられないと。悪意のどこに置いているのかに変化があり、それが私的には大事な価値観だな〜と心の隅で感じていた。
そんなこんなで思案はしているけれども、そもそも疑問は絶えない。なぜナツコさんは急に塔に行ったんだろう?眞人は「来たくて来たわけじゃないと思うよ」と言ってたから行かなきゃ行けない理由があるのは分かる。産屋にいると分かった時点でヒミから「ナツコは帰りたくないと言っている」っていう台詞があるから、産屋で産むために塔に行ったっていう解釈でいいのかな。塔に行く直前は眞人の怪我を見て「姉さんに申し訳ない」と呟いていたから、つわりでの情緒と眞人の怪我で責任とか負い目を感じて塔に行ったのかなあと勝手に推測する、、、。「塔に近づくな」と始めに眞人に伝えてたけど途中の弓矢を使うシーンとか完全に塔の秘密をなんとなく知ってる人だよね、、。(でも塔の記憶は忘れるとも言われてるよな)加えて塔の声は血縁者にしか聞こえないみたいだからそれで塔に吸い寄せられたのかな、、、ここら辺の細かいところは正直どれもしっくり来ない。一旦整理してまた考えたいところ。
原作本の方の『君たちはどう生きるか』はまだ途中までしか読んでないのだけれど、本から読み取れる権力構造は、映画で描かれた「下の世界」の鳥たちの立ち位置に当てはめられそうだなと思った。ペリカンは下の世界に連れてこられ、食べることの選択肢もない、世界に搾取される種。インコは中間層。アオサギは鳥でもあり人でもある(?)けど、異質な存在かなあと。集団というわけでもなさそうだし。
このnote書いている時にそもそも下の世界は大叔父が作ったのか?というのは少し疑問になった。平和で穏やかな悪意のない世界をつくれと眞人に言ったけど、それまでの大叔父が作った世界は悪意のない世界なのか・・・?という。そもそも積み木が悪意ある石だったし、ペリカンもこの世界に連れてこられ食べるものがないからワラワラを食べているという話だったよね。そして大叔父は石との契約で血縁者にしか継げない仕事だと話していた。ということは下の世界を司る創造主は石とも言えそうだよな・・・。
・・・と色々と謎が残るのですが、これは宮崎駿の頭の中を知り尽くしていないと面白さを感じにくい作品なのかもしれない。また色々と本を読みながら気づいたことがあればもう1回感想にしていきたいところです。
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