カール・シュミット『政治的なものの概念』試論①
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荒川幸也「カール・シュミット『政治的なものの概念』試論①」(researchmap)
はじめに
以下では、カール・シュミット『政治的なものの概念』(Carl Schmitt, Der Begriff des Politischen, 1932)を読む。本書でシュミットは〈政治的なもの〉の概念に着目しているが、その理由は一体何であろうか。シュミットは〈政治的なもの〉の概念を明らかにすることで、何を目指そうとしていたのであろうか。シュミットが本書で明らかにしようと試みている〈政治的なもの〉の概念は、シュミットの時代にのみ当てはまる一過性の特殊歴史的な概念であろうか、それとも普遍的に妥当する歴史貫通的な概念なのであろうか。
カール・シュミット『政治的なものの概念』
問題の所在
まずシュミットが本書でなぜ〈政治的なもの〉の概念に着目したのかをみていきたい。〈政治的なもの〉の概念の重要性に関しては、さしあたり「国家の概念は政治的なものの概念を前提とする」(Schmitt1932: 7、権左訳13頁)というシュミットのテーゼから論理的に導出されうる。つまりシュミットは国家の概念の前提としての〈政治的なもの〉の概念を問題にしているのである。シュミットはいう。
シュミットによれば、「今日の用語法によれば、国家とは、閉じた領域内で組織された人民の政治的状態である」が、これによって国家の概念が明らかにされたわけではなく、あくまで「国家をとりあえず言い換えただけ」であるという(図1)。というのは、〈政治的なもの〉の概念が明らかにされない限り、人民の状態がいかなる意味で「政治的」であるのかについては説明されていないのも同然だからである。その意味では、〈政治的なもの〉の概念を明らかにすることは、〈今日の用語法における「国家」とは何であるか〉を明らかにするのと同じ意義を持っているといえよう。
国家の概念(ここでは「本質 Wesen」)に関してシュミットは、従来の哲学者や思想家が示してきた代表的な思想を列挙している(図2)。例えば、「機械」的国家論は、トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』(Thomas Hobbes, Leviathan, 1651)の議論を彷彿させる。「有機体」的国家論は、ヘーゲルの『法の哲学要綱』(G. W. F. Hegel, Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1820)の議論を彷彿させる。「蜂の巣」は、バーナード・マンデヴィルの『蜂の寓話、私悪すなわち公益』(Bernard Mandeville, The Fable of The Bees: or, Private Vices, Publick Benefits, 1714)の議論を彷彿させる。「ゲゼルシャフトかそれともゲマインシャフトか」という箇所は、フェルディナント・テンニースの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(Ferdinand Tönnies, Gemeinschaft und Gesellschaft, 1887)の議論を彷彿させる。
このように従来の哲学者や思想家が問題にしてきたのはもっぱら〈国家〉の概念であったが、これに対してシュミットが本書で問題にしているのは、〈国家〉の前提である〈政治的なもの〉の概念である。まずはこの違いを認識する必要がある。シュミットにとって「単純な基本的説明に相応しい出発点」は、〈国家〉の概念ではなく、〈政治的なもの〉の概念にこそ求められるのである。
(つづく)
註
*1: 「in territorialer Geschlossenheit」は文字通りには「領域的閉鎖性の中で」と訳すことができる。シュミットが国際法学者として活躍したことを顧慮するならば、「領域的 territorialer」の意味を、領土・領海・領空を含む国際法上の国家要件として理解しうる。
文献
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