見出し画像

『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』を外国語で観て気づいたこと

はじめに

 先日よりAmazonプライム・ビデオで『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』(以下、『シン・エヴァ』)が多言語で全世界に配信されるようになりました。

 私はさっそく英語・フランス語・ドイツ語の吹き替え字幕で『シン・エヴァ』を堪能してみました。『シン・エヴァ』だけでは飽き足らず、改めて『序』もドイツ語で観てみました。

 普段はあまり外国語で映画を観ないので、新鮮な気づきがいくつかありました。その一つが、吹き替えと字幕とでは、同じ言語であっても、キャラクターが異なる単語や順序で物事を述べていることです。

フランス語吹き替え・字幕の「私の経験よ」

 例えば、"EVANGELION 3.0+1.01"のアイキャッチが出てくるちょうど直前のパートの終わりに、副長の赤城リツコが艦長の葛城ミサトに対して述べるシーンを挙げましょう。フランス語の吹き替えでは、リツコは「私の経験よ」というセリフを、

"Je le sais par expérience."
(私はそれを経験上知っているのよ)

と述べているのですが、これが字幕では、

"Je m'en souviens."
(私は身を以って覚えているのよ)

と表示されています。このように吹き替えと字幕ではそれぞれ単語の選択や表現の仕方が異なっています。

 元のセリフは「私の経験よ」というなんともシンプルな言葉であり、その鍛え抜かれたシンプルさがエヴァのセリフの特徴と言っても過言ではありません。しかしながらそのシンプルなセリフゆえに、我々はそれをどう解釈したら良いのかわからないと戸惑うこともしばしばあります。

ドイツ語吹き替えのKREDITの発音

 フランス語では登場人物は基本的に呼び捨てか役職をつけて呼ばれていました。これに対して、ドイツ語では「シンジくん」「ミサトさん」のように「くん Kun 」「さん San 」付けで呼ばれていました。

 ドイツ語の吹き替えで特に気になったのは、KREDITの発音が「クレーディト」([ˈkʁeːdɪt])ではなく「クレディート」([kʁeˈdiːt])に変わっていたことです。ドイツ語の辞書を引くと、「クレーディト」と発音するのは中性名詞"das Kredit"(意味は複式簿記*1の「貸方」、対義語は「借方 Debet 」)であり、「クレディート」と発音するのは男性名詞"der Kredit"(意味は金融における「信用貸付」、対義語は「預金 Guthaben 」)です。

 『シン・エヴァ』日本語オリジナルでは「クレーディト」と発音しているのですから、そこにはKREDITが供給する物資と、それを受けとる第三村などの共同体との間で、バランスシートの左右が一致するようなイメージも含まれているのではないかと考えられます。組織としてのKREDITが第三村などの共同体に対してローン(Darlehen)を組ませているわけではないと考えられますので、ドイツ語吹き替えの「クレディート」という発音はおかしいと思います。

 エヴァ作中ではどういう理由か知りませんが、ドイツ語が主要外国語(公用語)として用いられています(「人類補完計画 Menschheit Instrumentalitäts Projekt 」もドイツ語で表記されていました)。なので組織の名前であるKREDITもドイツ語由来の固有名詞となるわけですが、ドイツ語吹き替えで「クレディート」ではなく「クレディート」と発音が変更されてしまったのは明らかに誤訳ではないかと私は考えます*2。

おわりに

 翻訳とはいわばある種の解釈に他なりません。したがって、外国語の吹き替えや字幕によって映像翻訳者によるエヴァに対する解釈が示されていると言えます。外国語でエヴァを観ながら『はたしてこういう解釈でいいのだろうか』と考えるのも一興かと思います。英語・フランス語・ドイツ語・etc.、さらに吹き替えと字幕で二重に多種多様な解釈が示されていますし、これほどまでに多言語から音声字幕を選択できるのはサブスクリプションならではの楽しみ方ではないかと思いました。

*1: 「複式簿記」は英語で"Double-entry bookkeeping system"という。もしかして『Q』以降に出てきたダブルエントリーシステムって、庵野秀明監督が株式会社カラーを経営する中で複式簿記を学んで得た発想から来ているんじゃないかなー、などと思ったり、思わなかったり…。

*2: 誤訳と言えば、『序』の葛城ミサトの「風呂は命の洗濯よ」というセリフが、アマプラのドイツ語吹き替え字幕では"Ein Bad reinigt Körper und Seele."(風呂は心も体も浄めるのよ)となっていた。「風呂は命の洗濯よ」という元のセリフは、日本語としても若干戸惑いを覚えるような、シンプルで深遠な言い方ではある。注意しなければならないのは、ミサトは「風呂は身体の洗濯よ Ein Bad reinigt Körper. 」とは言っていないという事実である。つまりここでミサトが「身体 Körper 」に言及していない意味をよく考えなければならない。結論から言えば、この箇所はシンプルに"Das Bad ist die Wäsche des Lebens."(風呂は命の洗濯よ)と訳出すべきである。なぜなら、「風呂 Bad 」が「身体 Körper 」を「洗濯する waschen 」のは当たり前のことである以上、ここで「身体 Körper 」に言及する必要はないからである。そして日本語の「命 Leben 」は「魂 Seele 」とは区別される概念である。"Seele"が「魂」に対応する点については、『新世紀エヴァンゲリオン』第拾四話「ゼーレ、魂の座 SEELE, die Konstellation der Seelen 」のタイトルを参照されたい。また先のセリフが『新世紀エヴァンゲリオン』第拾八話「命の選択を die Wahl des Lebens 」のタイトルと音韻の観点で重なる点も考慮すべきかどうかは分からない。どちらかといえば、エヴァの中で「風呂」が持つ意味を視野に入れるべきかもしれない。エヴァの中で風呂が出てくるシーンは少なくない。綾波レイはNERVでL.C.L.の浴槽に浸からないと生き長らえることができない。この意味では明らかに「風呂は命 Leben の洗濯」なのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!