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世間知らずの高枕
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「世は〆切」「旅は友を失う」「少ないほどいいもの情報量」など、一度聞くと忘れられないフレーズも多い。短く簡潔なコラムで文庫に100篇ほど収録されていますがKindle化しているものは1冊のみ。
「日常茶飯事」は1962年の最初の作で「世間知らずの高枕」は1988-1992年の連載。山本夏彦は戦前生まれということもあり、内容に偏りがあるので苦手な人は苦手かも。
世間知らずの高枕
実を言うと税金というものは払わなくていいものなのである。つい戦前まで並の勤人は不動産を持たないかぎり、税金はまず一文も払わなかった。国は税金を金持と地主と財閥からとって、年収千円や二千円の月給取からはとる発想がなかった。その代り年金も保険もないから、病気も老後も自弁である。
予算というものはふえるものである。ぶんどるものである。倹約して一割余らせたと上役に言えば、来年は一割減でいいなと減らされるから、官も民も予算は使い果たしてなお足りないと訴えるのが、よい課長であり部長なのである。
人生教師になるなかれと私は思っているが、口に出しては言わない。人は年をとると教えたがる、教える資格が自動的に生じると思うらしいが、むろん誤りである。
それにつけても私たちが従っているこの出版という仕事は賎業である。たかが五十人や百人が衣食するために「金がほしい時間がほしい男がほしい」なんてコピーを思いたって、勇んでそれを才能だと互いに認めあうのは思想がないなんてものではない。ただ浅薄なだけである。
画家も文士も、ついこの間まで政治に関心をもたなかった。芸術は風流韻事だった。藤原定家は天下大動乱をよそに「紅旗征戎はわが事にあらず」といって歌を詠んでいた。政治経済を論じなかった。論じるものを「野暮」と笑った。自然主義の作家も男女のことは書いたが天下のことは書かなかった。
文士が国事を憂えるようになったのは、プロレタリア文学以来である。つけ焼き刃である。戦後ジャーナリズムは左翼とそのシンパに占領されたが政治的関心は知識人以外に及ばなかった。
日常茶飯事
弁論討論のたねは、みんな今朝の新聞に出ていた。あるいは雑誌「世界」に出ていた。そんならさっき読んだばかりだと、誰か一人が言い出せば、ディスカッションは瓦解する。
だから、辛抱して聞いているふりをする。なに聞いてなんぞいるものか。ただ相手の口がむなしく開閉するのを見ているだけである。めでたく一段落したら、今度はおれの番である。相手が聞くまねをする番である。彼らはこれを思想の交換、または言論の自由と称している。
たといそれが誇張であろうと、うそであろうと、その方を本当だと思いたいのである。俗に「真相」と称するものは、たいていこのたぐいである。
読者は常に、やっぱりそうか、と思いたがっている。それに迎合しなければ、敏腕なジャーナリストとは言われぬ。
大隈は維新の生き残りの一人で、演説の末尾を、一説ごとに、あるんである、とむすんで広く知られた人である。あるんであるとは、あるがひとつよけいで、有無を言うなら、ある、だけでいい。