まだ着れるんじゃけど お別れよ
断捨離は得意な方である。
🔵断捨離が得意なのは理由があるんよ(広島弁)
1️⃣ 引越し族じゃけ経験豊富なんよ
それは幼少からの引越し経験、のべ20回以上。
どこかのタイミングで見切りをつけるべきだと経験から知っている。
例えば、引越しの時には荷物を減らす。所持品そのまま箱に詰めて移動させるのではない。引越し準備は棚卸しである。
何年も眠っていた物たちに再会する。それは、過去との遭遇。
引越し先では新しいことが待っている。人も場所も物も。それは、未来への受け入れ体制。それが引越し断捨離。
2️⃣ 日本のケジメをつける習慣が良いんよ
日本の季節行事の中でも「年末の大掃除」という素晴らしい文化があることを誇らしく思う。由来は平安時代から伝わる煤払い(すすはらい)という行事。溜まった汚れを掃除して清め、新年の神様を迎える風習。
掃除=清めるという感覚が日本人にはある。海外とくに西欧ではない感覚。年末に区切りをつけて、気持ちも新しく始めるケジメがない。そのためダラダラと今までの続きが続くことになる。気持ちを新たにするケジメ万歳。
3️⃣ 本当に大切なのは物じゃないけぇね
生涯大切にすると決めた宝物箱なるものを持っている。いくら断捨離得意な私でもこれだけは棚卸しできないだろうと予想していた。しかし、結果は出来た。なぜなら、気づきがあったから。愛をくれた人たちとの出会いがあった人生こそが大切だと改めて気づいたのだ。宝物の中身である手紙が焼けてなくなっても、思い出は内側にずっと残っている。
4️⃣私らしさと反対の不自由さって足枷じゃないんかね
物を手にすることによって安心感を得ているようで、物を保持することによって足枷になっているパターンがよくある。一例は、マイホーム。土地に関するものはそうそう動かせない、ご近所さんが面倒でも土地に根付いてるマイホームは動かせない。本当は何処へでも飛び立てる自由があるのにね。保持したことで動けないなんて、私に取っては不自由。
5️⃣家の中がゴチャっとしとったら、頭の中もゴチャっとしとるよ
物音、生活音が煩い人は、心も雑。家の中が整理整頓されていない人は、話し方も整然としない。お家を訪ねなくても、人となりで大体わかるよね。
6️⃣生まれて来た時は何も持っとらんかったのにね、死ぬ時も同じよ
真っ裸で生まれて来た。なんの資格も、能力も、建前も、タイトル(役職)も、位置付けもなしに。それなのにいつのまに、大人はこんなに背負い込んじゃったんだろうね。必要だと思ったから背負ったなら、必要じゃなくなったら下ろしていけばいいのにね。
7️⃣外界が埋めてくれるんは一時の幻想じゃ。欲しいんは内側の至福よ
娯楽も趣味も、コレクションも、買いだめた食べきれない食品も全部。必須じゃないけど、あったらいいな。で集めたんだよね。それで、手に入れてどうなった?もっと他のものが欲しくなった?そうでしょうね。だって外側に埋めてもらえるものを探してるんだものね。
8️⃣ 幸せにしてもろうたけ、人を幸せにして還元したいんよね
支えられて、祈られて、守られて、生きて来た。赤ん坊は1人では死んでします。食べ物を与えられも、愛情が注がれなければ死んでしまう。人ってそういう生き物。ということは今、命があって生き延びているのは、愛されて守られてきたから。植物や果実が食べ物として存在してくれたから。ずっともらってばかりだったから、搾取をやめて、そろそろお返しする側になりたい。恩返しというより、世界の還元の輪に入りたい。
9️⃣ 古いエネルギーは古巣。蝶が羽化する前の繭なんよ
蝶が羽化するのは成長したから。成長を育むために必要だった大切な繭は暖かった。居心地が良かった。でも、羽化して外の世界に羽ばたくためには、まだ住みつづけることが可能な繭を自ら破いて旅立つしかない。古いエネルギーを身につけていては、新しい自分にも未来にも会えない。そして捨てた先にしか可能性は現れない。
🔵捨てられない人が抱えている真実
捨てれない世代の執着
戦後を経験した親世代は圧倒的にものが捨てられない。それは何もない時代を経験したからだ。今の時代に必須でないそれ以上のものを抱え込み、捨てられないのは、欲しくても得られなかった過去の感情を補おうとしている象徴だと思う。
捨てられないあるある
「捨てた後で後悔したくない」というけれど、1000個捨てて取っておけば良かったなと思うことがあるのは1個ぐらい。999個分のスペースが空いて、好機を受け入れるスペースがあることの方がよっぽど喜び。
「何処にあるかわからないだけで、無くしてはいない」というけれど、必要なときに取り出せないのは、無くしているのと同じ。
物は全て、使うためという使命をもって生み出されている。使わない。何処にあるかも分からない。気にも留めていない。磨いてもあげないのなら、それは無視で存在の否定だ。そこにリスペクトはない。
持ちすぎのキャリーオーバー。手が2つしかないのに、それ以上のものを両腕にいっぱい抱えて、前が見えなくなっている。欲張るから不自由になる。
「これでなければいけない。これじゃないと」そのしがみ付き、行き過ぎたこだわりは執着。何のこだわりも持たず生まれてきて自由だったのに、自分で自ら絶対ルールを作って不自由にしている。
多くをもっていれば、比例して広い心になるかというとそうではない。分け与えることができないという心の貧しさ。は誰もが知っている事例。