フィーバー終焉
3連休、子どもたちと夫は帰省する、自由な時間。
土曜日はバレエ「オネーギン」を鑑賞し、ジンジャーブレッドラテを飲み、
日・月と、10年ぶりに八ヶ岳に向かう計画を立てた。
仕事休んでいるというのに、なぜか日々の生活に追われている感覚があって、週末をとても心待ちにしていた。
子供たちから解放されるなんて!と。たぶん仕事に費やすリソースが減った分、私の脳のリソースが多く子供と家事に割かれていて、負担が大きくなっていたんだろう。育休中と同じ現象。
だからこそ、解放されると圧倒的な自由感が出る。
金曜日に皆を送り出すと突如として襲う眠気。その日は自由にしていい日だというのに8時には寝てしまった(もっと言うとその前からソファで転寝していた)。
土曜日は迷いに迷って直前に予約したバレエを初鑑賞。バレエの全知識はSWANから得ているのだが、人間が極限まで鍛錬を重ねた結果としての表現手法に興味があった。
たまたま自由だったその日にあったのは、オネーギンというとっても自分勝手な男主人の物語。
古典的な感情表現の型、バレエの舞いを通じて表現される感情はとても装飾的で抑圧されていて感情に訴えかけてくるものはなかった。けれどもダンサーが生涯をかけて行う表現の行為自体に心を動かされるものがあった。この人たちは、本当に毎日毎日努力を小さい時から積み重ね今ここにいる。その果てしない鍛錬に尊敬の念を抱いた。
そしてその公演は満員御礼だったのだけど、その場にいる人たち、マダムや親子連れの人間観察が楽しかった。私は金輪際チュニック丈の衣服は買わないと思う。
10年ぶりの八ヶ岳は奇跡のような晴天に二日とも恵まれた。苔むす紅葉の森林歩き、荒々しい稜線のすかっとした秋晴れ、何をとっても天国のお散歩のようで、本当に最高。
日本捨てたもんじゃないなって思った。
6時半に起きて特急に飛び乗れば、午後このような素晴らしい景色を堪能して山小屋に泊まることができるなんて。
要所要所で絶景を目の前にして、好きな時に行動食を食べる。
山小屋ではほかのソロ客(思いのほか多い!)との会話を楽しみつつ、マッサージチェアとこたつに癒される。
日の出は信じられない雲海が目の前に広がる。絶景を独り占め。
魂の洗濯ができた気がする。
さて、こんな充実した週末を送っているわけだけど、ふと、この週末あたりから、とっても充実しているし幸せなのだけど、あの無条件の「多幸感」は薄れている。
ハイだった状態が少し戻ってきたのだと感じている。
眠れなくなるということもすごく減っていて、夜はちゃんと眠くなるし、夜中目が覚めてもすぐ眠りにつくことができる。
昼寝もすぐできる。
薬を2錠から1錠に減らして1週間、効果が1錠分になってきたのかな?そんなに杓子定規なものでもないであろうけど、少なくともスーパーハイな状態ではないことは心地よい。通常運転感がある。
逆に言うと、食欲が抑えられなかったり、だらだらしてしまったり、スマホみつづけたり、みたいな行動も増えてきた。
本当に通常運転に戻ってる。
このなかで、どのように鬱にならない生活習慣を身に着けて、次の生き方につなげていくのか、次の1週間で見つけたいな。