私推しの私🌌
こんばんは。不安障害を経験した大学生はちみつです。最近はゼミの研究と大学の授業の合間に論文書いたりまったりしてます🍀
前回の記事を書き終えた後に、backnumberっていうバンドの「雨と僕の話」を聴いて泣きそうになった。別にさみしい曲でもないし、ただ一つの失恋の話をしているだけなんだけど心情の描写が絶妙で共感するところがあった。まじかよ、このタイミングかよと思いながら、ただただ自分の膝を抱えた。
さて、本題に入るわけですがアフターコロナになってから「推し文化」が広まったと感じますが、
みなさんは推しっていますか?私はいません。いないけど、「推しいる?」って聞かれたら「SnowManの〇〇!」と国民的で共感が得られそうな人を挙げるようにしている。(もしかしたらドルオタと思われるかもしれないが、そんなつもりはないしなるつもりもありません。本気でSnowMan好きな方いたら申し訳ございません。)
このように、私には推しがいない。けど、日常に好きなものが溢れている。例えば、好きなnoteのクリエーターさん。特に最近驚いたのが、前々から見ていたクリエーターさんが、私と同じ哲学者さんを好きだったこと!えっ!って見た瞬間椅子から立ち上がったよね笑
例えば、紅葉が綺麗なこと。澄み切った空を見れること。綺麗な風景見ていると、心が洗われるなって思う。
こんな風に推しを推さなくても、人生って楽しめるなあって思う。もちろん、推しがいて推しがいる人を否定するわけじゃない。推しがいることで人生輝いた!変わった!バイト頑張れる!っていう子が私の周りに何人もいるし、好きなことのために(推しのライブ見に行くためとか)頑張る人を否定したいわけじゃない。
推しがいて日常楽しい!って人を否定したいわけじゃないんです。
ただ私が言いたいのは、推しを推す熱量を自分に向けてみてもいいんじゃない?って思うんです。
今は、SNSの普及で自分より上だなあと感じる人と簡単に繋がれるし、閲覧できる。
そうやって他人との優劣が可視化されやすい社会になったからこそ、自分を下に見やすくなったり
自己肯定感が下がりやすい社会になったなと
日本在住の一人の若者(22)として思います。
他人を推すことは他人を応援することだと思うんだけど、他人を応援できる優しい人だからこそ
もっと自分推してもいいんじゃない、自分を応援してもいいんじゃないって思う。
リアルでは、自分の最推しは自分ですなんて言わないけど、心の中の最推しはやっぱり自分です。meです。
私推しの私だから、上り坂でも下り坂でも私を応援し続けるのだ。