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「観」を磨き、大切にしたい

 

 先日から、買ったものの読まずにしまわれている本を読み始めました。
今回手に取ったのは,「不適切な関わりを予防する『安全基地』化計画」です。私がここ数年興味をもって学んでいる分野関わる部分が多く,すらすらと読み進めることができました。たくさんの興味のある内容の中から「観」についての話から考えてみました。


1 「観」とは

「観(=物事の捉え方)」

「不適切な関わりを予防する『安全基地』化計画」より

 私たちの仕事の中には,たくさんの「観」が出てきます。「教育観」「教材観」「児童観」「指導観」「歴史観」などたくさんです。「歴史観」はちょっと付け足しでしたが。「○○観」とは、つまり「○○をどう捉えているか。」ということになります。
 「観」は,教育において,とても大切なことだと気心知れた仲間内では,話題になります。

2 視野を広く、歴史にも目を向ける

(1)「観」は意図しないと磨けない

 さて,「観」=「物の捉え方」というのは経験を積めば、先輩から学べば培われるのでしょうか。それで磨かれるものもあるでしょうが,やはり,いろいろな見方・考え方を自ら学んでいく必要があると思います。
 例えば、「児童観」。児童をどう捉えるかということですが、児童を「学力」という側面からだけみるのでなはく、「家庭における児童」、「地域における児童」、「習い事での児童」、「友達と遊んでいる時の児童」などあらゆる面から捉えてみる。そうすると、いつも見ている児童とはちょっと違った側面が見えたりするのではないでしょうか。これは児童が置かれている環境を様々な視点から見るということですが、さらに発達心理学、世の中の変化、子供を取り巻く歴的な変化などさらに広い視野で見ることで、さらに考えられることもあります。
 いろいろな本を読み、いろいろな人の話を聞き、「観」=「物の捉え方」を磨いていくことが大切なのだと思います。

(2)実は「歴史観」は結構大切

 歴史の中にある教育の変化を知るということは、今の教育を考える上でとても大切だと感じています。
 現在、一斉授業や反復学習で行われてきた知識偏重型の授業スタイルから対話型の授業、思考力を磨く学習、探求的な学習を中心にする授業スタイルへの変革が求められる訳ですが、一斉授業や反復学習がしばらく行われてきたのには理由があります。
 それは、大量生産大量消費時代に「効率よく、マニュアルにあることを間違いなく作業して、商品を大量に生産する。」ということが必要とされたからです。それができる労働者を育てなければならなかったということが一理あります。この教育スタイルで、成功を収めてきたのは事実です。世界でトップクラスの学力を維持してきました。
 しかし、時代とともに、情報化が進み、誰でもたくんの有益な情報に触れられるようになった今、そして、人口減少が進む日本では、「情報活用力」「思考力」などが求められるようになりました。得た情報をどのように活用して、新たな考えを導くか、今までの方法はこれからも通要すのか、考えられることが必要になってきました。
 大ざっぱに記しましたが、歴史とともに「教育」のあり方は変化してきているのです。
 現在の教育を考えていく上で「歴史観」をしっかり持っておくことは、必要だと思うのです。

3 「人間観」を磨く

 「人間観」=「人をどう捉えるか」ということもまた大切です。教育に携わる仕事をしていて、教育者である前に一人の人間として、人とはどんな存在なのかしっかり考えを持っておく必要があります。以下、本に紹介されていた一例です。

・人はそれぞれ異なる固有の人生を生きている。
・人は弱い存在であり、互いに補い合って生きている。
・人の役割は固定的ではなく、多様であり、一人が複数の役割を担っている。
・人はそれぞれ異なる能力を持ち、得意不得意がある。
・人は絶えず変化し、成長する存在である。
・人が見せている姿は、その人の一部に過ぎない。
・人の心は環境と切り離すことができず、常に流動的である。
・自分の見方・捉え方・フィルターによって、相手に対する見方や未来の予測までもが変わっていくことがある。
など

「不適切な関わりを予防する『安全基地』化計画」より

 自分が人間とはどんな存在なのか、それをしっかり言語化できるようにし、「人」とはどのような生物なのかを踏まえた上で、子供たちと関われるようになりたいものです。
 「観」を磨き、大切にすることを心がけていきたいと思います。
さぁ、読書するぞ~。

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