言葉の素晴らしさを伝える言葉がまとまりませんでした
こんばんは、疾風 遥です☆彡
今日は午後に美容室に行ってきました♪
前髪ぱっつんのボブにしてもらって、帰り道に中学生がこっちをチラチラ。
マスクもしてれば、男か女か分かりませんね笑
私の狙い通りで、世の価値観を変えてやる!くらいに思います。
それこそ、江戸時代は元服した男性はちょんまげにするのが当たり前で、後ろ髪はとても長かったわけですから、何が正しいのかなんて、時代によって様々ですよね。
就活で受からないのは、この髪型のせいかな?と思ってしまうことも多々あるけれど、そういう会社は結局居心地が悪いだろう、と開き直って、応募する日々を送っています。
言葉、というコミュニケーションツール
前置きが長くなりましたが、今日は言葉の大切さについて考えたいと思います。
言葉以外にも様々なコミュニケーションツールがあって、それは人に限らず動物には備わっているものかもしれません。
では、なぜ人間は言語を習得したのか。
言葉はとても複雑なコミュニケーションツールだと思います。
分かりやすく伝えることもできれば、あえて分かりにくくすることもでき、難しいです。
自分の感情によっても、同じ言葉が違うように聞こえてしまったり、同じ言葉でも、誰から発せられるかで全く異なるように感じます。
前に、SOGIの話をしていたとき、LGBTQの話に繋がって、もうSOGIという概念があるのだから、グラデーションであって、もうLGBTQとか区分ける必要はないんじゃないかと思ったことがあります。
たしかに、SOGIの概念は、当たり前のことを上手く表現できているかもしれませんが、自分がどういう状態かどうかを説明するには不十分だな。と最近思ったのです。
あくまでも、SOGIの概念から、誰もがどんな性的指向や性自認を持っていても良いという前提が成り立ったうえで、自分がどういった性自認で、どういった性的指向を持っているかどうか、端的に言えば恋愛対象かどうかを説明するにあたっては、グラデーションの中にある印となるLGBTQで比較し、自分はこういう感覚を持っていると説明できるのではないかな。と今思います。
人には「察する」という能力もある程度ありますが、100%察せるわけでもないですし、言葉で言っても誤解を生むほどです。
ゆえに、言語を習得し、相手とのやり取りにおいて、感情的になりすぎず、かといって冷徹になりすぎず、コミュニケーションをとれるのが言葉なような気がします。
そう思うと、日本語では表現できないようなことが、他の言語でできるかもしれないし、日本語でしか表現できないこともたくさんありそうですね。
私は、言葉の成り立ちから、その言葉に含まれるニュアンスを感じたうえで、その言葉を初めて上手く使える。という風に思っていますから、日々使っている言葉や知らない言葉をあえて調べることで、日本語の奥深さを感じます。
言葉の変化を感じつつ、良い言葉を後世に伝えていきたいなぁと思っています。
なんか今日はテイストの違う記事になりました。
明日、面接だから、こんな言葉について考えているのかもしれません。笑
それでは。
疾風 遥
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