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優しさにふれて

こんばんは、疾風 遥です☆

最近、少し心の調子が不安定で、変化の時期なのかなぁ。と漠然と思っています。

優しさに触れて

noteとPanasonicがコラボしているこのハッシュタグ#やさしさにふれて

人によって「やさしさ」って異なりますよね。
そして、誰からその「やさしさ」を受け取るかでも、受け取り側の気持ちも変わってしまうのが、感情の難しいところ。

資本主義かつ民主主義の日本にいると、権力者や多数派が「偉い」とか「優れている」とか、感じてしまうと思います。
本人はそう思っていなくても、社会や文化や環境が本人の気付かぬうちに、優等として扱ってしまう

例えばだけど、汚い仕事とか、臭い仕事、あとは性産業従事者とか、きっとそれを聞いただけで、「うわぁ」と思ってしまう方もいるかもしれません。

「うわぁ」と思ってしまうことは、社会や文化に依るところが多いから、個人的かつ内向的な感想としては問題ないと思うし、感じたままで構わないとも思う。

けれど、社会や文化の枠組みを可能な限り自分で外して見てみるとどうだろう??

毎日ゴミを出しても地域がキレイなのは、収集員の方や、処理場などの方が働いてくれているから。
どこの公衆トイレにいっても、キレイだったり、トイレットペーパーがあるのは、清掃員の方が働いているから。


性産業も様々で、アダルトビデオを制作している方々や、出演者がいてくれるから。
それとアダルトグッズや避妊具を作っている方々もいますね。

もちろん、様々な見方があるけれど、そこで働く人たちは、合法で健全に働く一人一人の人間。
している仕事が何であろうと、その人の価値は何も変わらない。

優しさで溢れている

そう考えれば、世界は優しさで成り立っている。
たとえ、その優しさが時に誰かを傷付けてしまったとしても、あなたが優しさを持ってした行動であれば、正解かどうかは分からないけど、不正解ではないと思うの。

優れる・勝れる
どちらも「すぐれる」とは読むけれど、
優という字は同じかもしれないけど、
「優しさ」と「優れる」ことはイコールではない。

ここで私のワンエピソード。

私が大学の頃、ファストフードのバイトでレジをしていたとき、理由が謎だったけどお客さんに怒鳴られたことがあるの。

私は何も落ち度がないと思っていたけれど、とても悲しい気持ちになって「すみません‥不快な思いをさせてしまって」と謝りました。
理由は言ってくれなかったし、その人の虫の居所が悪かっただけかもしれないけれど、仮にその人が社会的にとても優れていても、優しくはない。

この話はここで終わらず、お昼の混んでいる時間だったこともあり、謝りつつ、注文を受け終わったので、受け取りの列に並んで頂いた。

気持ちを切り替えて、次に順番を待っていた方に「いらっしゃいませ~」って言ったら、開口一番に「やぁねぇ、あういう人いるのねぇ。気にしちゃダメよ」って言ってくれた方がいた。

その方自身も第三者目線で会話を聞いていて不快だったのかもしれない。
しかし、この「優しい言葉」によって、この思い出は「怒鳴られた話」ではなく、「優しい話」に書き換わったのだった。

これが私の一つの#やさしさにふれて

常には無理

とは言っても、常に優しい人間であり続けることは不可能。
私に怒鳴った方も、優しい人なのかもしれない。
誰だって機嫌の悪いとき、辛いとき、悲しいとき、怒るときがあるから。

でも、”自分の芯”だけは、優しさで満たそう。
そうすれば、謝ることもできるし、許せることもできると思うから。

自信も大事だけれど、自芯も大切。

あなたはあなたが思う自分らしさで活きていて良いのだから。

これを書いているだけで優しい気持ちになってきた。
自分にも優しくしてあげないとね♪

すぐに自分を責めてしまうから…。

自分の意図せぬ場所で、あなたの優しさは輝いているから☆

疾風 遥

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