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本当の『好き』、って簡単じゃない

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こんばんは、疾風 遥です☆彡

最近、更新頻度が低いのは、パソコンのある寝室が寒くて
すぐにベッドに逃げてしまうからです…。
特に昨日からグッと冷え込みましたね(>_<)

しかし、私は寒い中で、ぬくぬくするのが好きなので、嬉しい季節です♪
あぁ、ずっとベッドでもふもふしていたい…。

好き、ということ

色恋だけでなく、「好き」という単語は、普段から誰でも使うものかと思います。

でも、「好き」にも日によって濃度が変わると思うんですよね。
そして、同じものを「ずっと好き」でいるのってけっこう大変。

「好き」だからこそ、悔しく思うときもあれば、怒るときもあれば、泣きたいときもある。
でもそれは、「好き」が前提。

無関心なことだったら、どうでもいいはずだからです。
(危害とか加えられたら別ですよ…)

しかし、どれだけの人が、「好き」に対して色々な感情を持つ中で「大切にする」ことができているでしょうか?

「好き」になればなるほど、より自分に「近い」存在になるので、「近い」存在は、どんどんと「当たり前」のものになってきてしまいます。

「当たり前」になると、人間はどうしても「慣れ」てしまうし、その本当の「大切さ」を忘れがちになってしまう。

よく恋愛で「蛙化現象」とか言いますけど、それはそもそも好きだったわけではなく、追いかけていた自分が好きだっただけなんだと思います、私は。

私は、ぬいぐるみも魂が宿っていると思っているし、自分のクルマにも魂が宿っていると思っています。
むしろ、私が魂を込めた。くらいに思っています。

ぬいぐるみに痛いようなことをしてしまったら謝るし、
クルマに突然の急ブレーキなんかをかけてしまったりしたときも謝ります。
(この年になると、客観的にみるとだいぶ気持ち悪いかもしれませんが…)

そして、この記事を書こうと思った最大のキッカケを恥ずかし気もなく書こうと思います。

あなたのことが好きだから。

と、今日とある人に言いました。

冗談というか、話の流れでスラッと言ったので、相手は気づいていないかもしれないし、けっこう普段から言っている気もします笑
そして、恋愛の枠に捉われずに言っています。

そのことをちょっと考え込んだときに、仮にこの人に「嫌い」と言われても、私は「好き」なんだろうと思います。

大学生のころは、重い女ならぬ「重い彼氏」と言われたこともありますが、本当に「好き」になるって、軽いことじゃ無理なんですよね。

そして、その人の「幸せ」を願ってしまう。
私と会わなくなっても、幸せでいて欲しいと思う。

今日のその人だけでなく、私は「好き」のハードルが高い分、「好き」になった人やものに対しては、少しでも「幸せ」であって欲しい。

それが私にとっての「好き」ということ。

自分の思い通りにしたい=好き。ではないということ。

そんなことを久々に思い出した夜でした☆


年末に入ったから、こんなことをふと思うのかもしれません。

会えなくなっても幸せを願うからこそ、会えている今ももっと大切にしたい。
嫌がることや、傷つくことはしたくない。

そうやって行動していれば、似たような人が集まってきて、私も大切にしてもらえるし、自分自身も大切にできるような気がします。

疾風 遥

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