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庭が教えてくれること
ガーデニングが好きだ。
花が好きだ。ハーブが好きだ。
幼い頃、父は休みの度に庭いじりをしていた。父は土を耕し、花を植え、木を剪定し、自分の食べた果物の種を捨てずに採取しては、それを芽吹かせることを心から楽しんでいた。
母はハーブを育てて、収穫し、暮らしの中に取り入れていれることを喜びとしていた。
それをみて育ったからなのか、DNAに組み込まれているのか、庭への憧れは強かった。庭という場所を一から自分の手で創り、育てていきたいといつしか強く思うようになった。
悩みがあっても、土をいじっている時、花を愛でている時は、童心に戻り悩みを忘れる。心もからだも大地のエネルギーに満たされる。
だけど、ガーデニングといえば響きはいいけれど…実際やってみるとその作業の殆どは、抜けども生えてくる雑草を抜くことと、取れども姿を表す石ころ達を取り除くことだった。
大地に癒されつつも、地味で地道な作業の連続にため息が出る。
しかも、神様はしっかりとわたしの願いを聞き入れ、わたしに一軒大きな家が建つほどの広さの庭を与えてくれた。
おかげで毎年春から秋にかけてはしっかり地に足を付けて大地に根ざしながら、大量の雑草たちと忍耐強く向き合う季節となった。
ガーデニングは時間もかかるものだ。
世界中のガーデナーの憧れ、今は亡きターシャ•テューダーは言った。「この庭は30年かかったわ。30年一緒に成長してきたの。わたしは一日の大半を庭で過ごすけれど、そのほとんどは余分な草を引き抜き、栄養を与えることで終わってしまう。だけどそうするから庭はわたしに恵みをくれる。お互いになくてはならない存在なの。」
わたしはガーデニングの知識にまだまだ乏しく、"植える場所を間違えた"なんてことはザラにある。他の植物とのバランスだって成長し花が咲くまでよく分からない。しかも多くの植物が年に一度しか咲いてはくれない。
もし失敗したら植替えに適した時期を待ち、植える場所を変え、また咲くのを待つしかない。一年待つのだ。そうするしかない。
始めてみて分かった。ターシャじゃないが、庭を育てるには、本当に長い時間がかかるのだ。労力もかかると知った。泣きたいほどに。
早く美しい庭にしたくて、ついつい色々急いでしまう。早く完成させようとしてしまう。
それも間違いではないかもしれない。
けれど、美しい庭であればあるほど、時間も、知識も、労力も、手間暇も、つまりそれだけの"愛情"がかかっているものだ。
庭だけじゃない。人の体も心もおんなじだ。
結果を急ぐことなく、余分なものを取り除き、必要な栄養を与え、ただ地道に丁寧に愛情を持って向き合うから、美しく健やかに育つのだ。
森のように広大で美しい庭を創造したターシャはどれだけ辛抱強く、時間をかけてその土地に向き合い続けたのだろう。どれだけ大きな愛だったのだろう。
大地はいつも、わたしに癒しや恵みと共に試練を与えてくれる。それこそが母なる大地が私たちに与えてくれる大きな愛というものなのかもしれない。
庭はいつも、わたしに大切なことを教えてくれる。