「Reduce:Reuse:Restart ~瓦礫のヒーロー再び~」について
※本記事はいち舞台好きの、あくまで素人の感想です。
また、ネタバレを含みます。閲覧の際はご注意ください。
「舞台」が詰まったすごい舞台
土曜日の午後。
13時回を観終え、シアターを出る。そして私はある感想を抱いた。
それは、「この舞台、”全部”があった…スゴかった…」というものだ。
本舞台の劇団様が推している「コメディ要素」はもちろん最高に面白かったし、キャラクターの死別から始まるシリアスさの加減も舞台へのスパイスとなっていた。
加えて、洗練されたアクションシーンや別ベクトルでのエモさを際立たせてくれた恋愛要素、ストーリーの伏線回収など…個人的に楽しみにしていた「舞台ってここが面白い!」というピースがすべて詰まっていた。
例えるならコース料理を完食したような感じ。達成感や満足感がすごい…!
特にコメディ要素においては非常に見ごたえがあり、序盤のケーとリーのやりとりに巻き込まれるイッサやココ、中盤のマコトの「みずいろの雨」などは個人的に今でも印象に残っているシーンたちだ。
また、振り返ってみると本要素は全体を通して見ても必要な要素だったな…と感じさせられる。
なぜなら、本舞台の背景にあるのは「荒廃した世界」や「戦争、テロ」「裏切り、死」など、とてもシビアなものである。こうしたネガティブな要素は枚挙にいとまがない。故に本舞台がただただ善悪をぶつけ合う、戦争の悲しさや人間の正義感に対するアンチテーゼになっていないのはコメディ要素あってこそであるし、この点がより舞台に幅や深みを与えているんだなぁ…と感じている。
解像度の高い「善悪」
さて、本舞台を観ていて感じていたことがもう一つある。
それは、「特撮の味がする…!」というものだ。
個人的な話になってしまってお恥ずかしい限りだが、私は子供のころから現在に至るまで「特撮」に触れ続けている。
そして、(個人的意見ではあるが)どの特撮作品にも独特の「雰囲気」があると常々感じている。
演技、演出など様々な要素が折り重なって生まれる曖昧な「雰囲気」。
これと似たようなものを本舞台でも感じた。
もちろん前述した「舞台ならではの面白さ」は共存しているものの、これに加えてどこか特撮で見慣れた雰囲気が散見された点に驚いた。
特に、本舞台の根幹である「善悪とは」「正義とは」という命題に対しての向き合い方は、まるで往年の特撮ヒーローを見ているような、とても真に迫ったものを感じていた。
そのため観劇中は「この脚本家さんはああいう特撮作品が好きなのかな…」とぼんやりと思っていたのだが、舞台終了後の脚本家インタビューにて山下氏が「(特撮やヒーロー物のアニメなどは)一切見てなくて~」という旨の発言をされていて、更に驚かされた。
つまり、既存の作品の知識などをほとんど下敷きにせずに、ここまでしっかりと「善悪」を描写したという点が本当にすごい。
特撮に長期間触れている経験があるからこそ感じたポイントであった。
ビンロウジ・ニア/千歳まち さんについて
今回の推しはカッコイイ…だけじゃない!
私の推しが演じる「ニア」は、志を共にしている「ルナ」や「コソ」と行動を共にする傍らでバーのマスターとして働いているキャラクターだった。
もちろん、顔の良さ、言動やアクション、OPのダンスに至るまでカッコよさ全開のキャラクターなのだが、これだけではない魅力もたくさん詰まっていた。
序盤や中盤で子どもたちから年齢をからかわれるシーンは王道ながらもとても面白かったし、ルナの台詞から年齢が判明するシーンでは「いや全然老けてないじゃん!!」と思わず心中でツッコんでしまった。
しかし、一転して「バーのマスター」としてイッサやココと掛け合うシーンでのニアはとても柔らかい印象で、ココとのガールズトークに花が咲く描写など、また違った一面を見せてくれた。
極めつけは終盤、「誰かから」送られてきた荷物を見て涙するシーン。
中盤の「生まれ年のワインは~」という台詞がシンプルながらも刺さる伏線となっており、観ている私も思わず涙目+鳥肌が立ってしまった。
カッコイイし、面白いし、エモい。
まちさんの顔の良さと演技力をフル活用した素晴らしいキャラクターだった。
他のキャラと比べ過去の描写や行動の動機などがあまり描かれなかった点は少しばかり残念ではあるが、だからこそ「こういう経緯でルナ達と一緒にいるのかな…」とか「こういうタイミングでルナに対する見方が変わったのかな…」など、考える余地が多く生まれている。
どうか幸せになってくれ、ニア………
(まちさんへ。
カーテンコール前の投げキッス、最高でした…!今回も最高の演技をありがとうございました!!)
チグサ・ノユメ/吉田菜都実 さんについて
ニアはもちろんだが、個人的に印象に残っているキャラクターの一人はノユメである。
作中でイッサから「妹と研究が大好きな変人」と謳われ、コメディ要素としての「シスコンっぷり」が目立ったものの、エルマの事故死から一転。
結果的に「研究」に縋り続けるマッドサイエンティストとなり果ててしまった。
そのぶっ飛んだキャラクター性やノユメを演じられている吉田さんの顔の良さ、キレキレのアクションなどの多くの魅力を持つユメノの最も印象に残った描写がある。
終盤、ケーがノユメを庇って破壊されてしまう。そしてケーは自身のパーツを使ったリーのアップデートを喜ぶのであった。
この描写、もちろん「アンドロイドの死」という王道のエモさはあるものの、それ以上に大切な人を喪失したノユメとの対比が切ない。
ケーは(というよりリーは)「喪失」を経て、この先の未来を生きる選択を取った。一方でノユメは「喪失感」を抱いたまま、破滅的な末路へと進んでいってしまう。
アンドロイドは未来を見ているのに、人間は過去に囚われてしまっている。
この構図がノユメの闇落ちをより悲惨なものへと際立たせており、とても切ないシーンだな…と感じた。
(ノユメにも幸せになってほしいけれど、どう考えてもバッドエンドしか想像できない……。頑張れケーとリー!)
トキワ・マコト/kayto さんについて
最後に、中盤以降の超重要キャラクターであるマコトにも触れたい。
最初はイッサ達と行動を共にしていたものの、終盤で彼のバックボーンが判明する。その行動理念から「世界の初期化」を目指すようになってしまった。
マコトは…というかマコトを演じられたkaytoさんの演技がとにかく凄かった。序盤は顔のいいデータキャラという立ち位置が一転、「薬」をキーワードにしてキャラクター性がひっくり返る大味なポジションとなった。
そして、この転換点である過去の回想シーンがすごい。
脚本家インタビューにて山下氏が「彼は純粋なんですよね」と評した通り、父親を応援していた無垢な少年が痛々しいほどに歪む様が切実に表現されていたと思う。
「首吊り」の演出もさることながら、やはりマコトの慟哭が悲惨だった。
少年の世界が180度変わってしまったショッキングな瞬間はとても印象に残っている。
…観劇時点ではてっきりキャリアのある役者さんなのかと思っていたものの、どうやらそうではなく、舞台は二回目とのこと…。
それにも関わらずこのクオリティの演技をこなせてしまう点が本当にすごい。
マコトのキャラクター性はもちろんのこと、舞台の中核を担うと言っても過言ではないあのシーンを見事に演じきったkaytoさんの演技がとにかく印象に残っている。なにより顔がいい!!うらやましい…。
おわりに
大変な情勢の中でも素晴らしい舞台を観せて下さったキャスト及びスタッフの皆様、本当にお疲れ様でした。
素晴らしい舞台をありがとうございました!