亡くなった友達が教えてくれた大切なこと
私の友達が教えてくれたこと
私の高校の同級生は、がんにかかってこの世を去りました。
私はその友達から時間と命の大切さを教えられました。
今を生きるこの時、1秒1秒は当たり前に存在しているのではないということ。
そしてこの刹那を生きる命は当たり前に存在しているのではないということ。
親しい友達の死を目の前にしてこの2つが今でもずっと心に突き刺さっています。
私の友達の心の強さ
その友達とは部活も同じで、クラスも同じでした。
友達が、がんだと分かったのは、大学生のときです。
部活の仲間、みんなでお見舞いに行くと意外と元気そうな顔で安心したのを覚えています。
でも今、理学療法士になり、たくさんのがんの患者さんと関わらせていただく機会が増えてくると、あの時の私の友達もどれだけ大変な思いをしていたのかは、手に取るように分かります。
しんどいはずなのに、平気なふりをしていたはず。
自分が病気になったことにも文句1つ言わず、私たちと何でもない話をしてくれた友達の心の強さを今頃になって思いだしました。
私の友達の生き方
長い長い治療を頑張った友達は無事退院することができました。
その後、友達は失った時間を取り戻すかのように世界中を旅していました。
世界中の建築物を見てまわることが多かったようです。
私たちがまだ高校生で未熟だったころの姿ではありませんでした。
言葉通り、人が変わったようでした。
今、生きるこの世界、時間を楽しむ、そんな風にも見えました。
大学では友達と楽しくやっていたようです。
そして、私の友達は大学を卒業し、就職してすぐに、この世を去りました。
友達も生きるはずだった時間を生きる私
なんで私の友達は死ななければならなかったのだろう。
どうして。
そんなもん考えても答えは出ません。
もっとしたいこと、行きたい場所、たくさんたくさんあったはず。
まだまだ生きたりない、行きたりないだろうに。
私の友達が亡くなってから、もう7年になります。
私は友達が生きるはずだった7年をどう生きたのでしょうか。
胸を張って、頑張ってると言い切れるのでしょうか。
友達はもう戻ってはこないですが、一緒に過ごしたあの時間だけは確かに存在しています。
私の命の中にも友達と過ごした時間が刻まれています。
友達は私の中で生き続けます。
だから1秒1秒、歳を重ねるこの命、このたった1つしかない命を大切にしたいです。
そして、この命が存在する今この刹那を大切にしたいです。
友達が生きたいと思ったはずの今を生きている私が大切にすべきこと。それを忘れないように。