屋根裏のラジャー

※ネタバレあり。

映画館で久しぶりに観たアニメーション映画。
予告を見たときは、子ども向けのファンタジー映画かな、と思い、あまり興味を持てず…
正直、観に行くつもりなかったのですが、やっぱり気になったので、先日、平日にお休みが取れた日に行ってきました。

〈あらすじ〉
大好きだった父親を亡くし、母親と2人暮らしの少女、アマンダには、ラジャーという少年の友達がいる。
アマンダは毎日のようにラジャーと会話し、一緒に遊び、冒険しているが、ラジャーはアマンダの想像によって創り出された存在《イマジナリ》であるため、アマンダ以外の人間には見えない。
ラジャーはアマンダのことが大好きだが、イマジナリであるラジャーは、アマンダがラジャーを忘れる(想像しなくなる)と、消えてしまうという運命を持っている。
あるとき、アマンダは事故に遭い、意識不明の重症になる。すると、ラジャーの身体が消えかかってしまう。不安と恐怖を感じているラジャーの前に現れたのは、ジンザンという猫。ジンザンに導かれ、ラジャーは人間に忘れられたイマジナリが住む世界にたどり着く。

〈映画を観て想ったこと〉
ラジャーはアマンダの想像から生まれた。
他の誰からも見えないラジャーは、アマンダ以外の人にとっては「存在しない」存在だけど、アマンダにとっては家族や学校の友達と同じくらい、たしかにそこにいて、人生を一緒に歩んでくれている大切な存在。

自分以外の誰にも見えないお友達、というのは、大人になってからでも存在すると思う。
自分以外の人の目には見えない(感じない)けど、自分にとってはたしかにそこにいて、実態をもって生きている存在(肉眼で見えるかどうかは別として)。

それは(アマンダのように)子どもがつらいことから逃げるために隠れ蓑として創り出した、現実から切り離された世界にではなく、むしろ現実の延長線上に、力強く、そこに存在している。
自分を励ましくれる存在。

それは今のパートナーよりも自分を愛してくれた元恋人かもしれないし、どんなときでも無条件に自分を甘やかしてくれた今はもう会えない祖父母かもしれないし、亡くなったペットかもしれないし、人によってはアイドルだったりアニメのキャラクターだったり、もしかしたら理想の自分像だったりするかもしれない。

話しかけたら、必ず応えてくれる存在。

想像で創り出した色鮮やかでワクワクにあふれた世界を冒険することはなくても、悲しみや苦痛が伴う人生を一緒に歩き、寄り添ってくれる存在。

どんなときでも、「怖れなくていい、あなたは最高の存在なんだから」とメッセージを発し続けてくれている存在。

ラジャーがどんな危険を冒してでもアマンダに会いに行ったように、自分がどんな状況におかれていようとも、自分がその存在からどれだけ遠くにいようとも、「大好き、ずっとずっと味方だよ」というメッセージを届けるためだけに、自分の中に生き続けている存在。

実際、私たちは目に見えない存在からたくさんの応援や肯定を受けている。それは想像上の、とか天使や守護霊が、などというスピリチュアルな話ではなくて、実際に、現実世界で現実的に、今この瞬間に、自分のことを認め、応援してくれている人たちはたくさんいる。
それは目には見えない存在、というよりも、気づいていない存在、といった方が正確な気がする。

忘れていくことは、なかったことになることとは絶対に違う。
思い出さなくなることは、消えてなくなることではない。

アマンダは、悲しみや寂しさがたっぷり詰まった現実世界で、少しずつ上手く生きていく方法を見つけ、悲しみや寂しさを癒し、ラジャーのことをいつかまったく思い出さなくなる。

それは、ラジャーがいなくてもアマンダが生きていけるようになったことを意味していて、でもそれは、ラジャーがアマンダにとって不必要な存在になったのではなく、ラジャーがアマンダにとってアマンダの一部になったこと(もう別々の存在ではないこと)を意味している。

統合された存在には、2度と「会えない」(思い出す必要がない)けど、それはその人の中でその人が気づかないくらいにさりげなく、そして当たり前のように、その人の中の思考、性格、言葉として、生き続ける。

アマンダが、いつかラジャーの名前も顔も髪の色も声も一緒にした冒険も何ひとつ思い出せなくなっても、ラジャーの想い、言葉、一緒に過ごした時間は、たしかにアマンダの中にずっとあって、アマンダが人生を切り拓き、自分らしく生きるための力を与え続けてくれている。

形がないからといって、今、目の前にそれを感じられないからといって、それがそこに存在しないとは限らない。

他人から見たら妄想と思えるような出来事でも、ほんのささいな言葉や想い、時間であっても、どれだけ時間が経っても、一緒に過ごした日々は、共有したたくさんの想いは、もらったもの(与えたもの)は、そのままのきれいなかたち(あるいは完璧さを伴った唯一無二のいびつなかたち)のまま、たしかにずっと、そこあり続けている。

大事なものは、自分の中にちゃんといる。
たとえそれを感じられなくても。

ちょっと怖い映像がありそうで、観るかどうか迷っていた『君たちはどう生きるか』も、近くの映画館でまだやってるみたいなので、近々観に行こうと思う。

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