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魂は深く癒やされる〜意識の奥深く隠された扉(ブロック)を自ら開放する
学びって 尊いものですね˖*♬೨
「知る・分かる」は 自分の存在する世界をたちまち変えてゆく
『知る 分かる』…は
『人生にそれらを活かし 体感、実感出来ている』って認識を得ることになっていて 意識状態が新しいなにかを知る、分かること、で まるで住む世界が変わって行きます。
学術的に エビデンスに基づいていないものであっても 体感や五感を通して その感覚が『自分の感覚を通して 分かる』…というのは 大切な体感であり 実感です。
「抵抗や否定」は自分自身の進化を遅らせる
『抵抗や否定』は
自分自身の進化を遅れさせていることにも
長く生きてくると分かってきます。
自分の心に従って すべては取捨選択出来る
「NOと言ってはいけない」空気を読み取って そのまま 自分の本意を飲み込み続けて来た日本人の文化が 「今」負って来たものがある
一旦 純粋に受け取って その中から自分の心に従い 取捨選択する事が出来るはずで、心のままに「NO(わたしはそれを受け取らない)」…と 表現して良いのだけど、
どうも 日本人としての文化として
「NOと言えない日本人」の著書にもあるように
一度受け取ったら それを「NO(わたしはそれを受け取らない)と言ってはいけない」…って 日本人としての習慣を 感じて来ました。
それぞれ違う課題を生前 シナリオに書いて それぞれに違いある経験と実践をしている
だから
そこから生まれる 感覚や意識の変化にも違いが起きる
それぞれ違う課題があってこの世界に生まれて来ました。そして それぞれの生まれ落ちた環境、関わって来た人たちの性質や 経験し体験して来たものでさえ 全て自分だけのものです。だから 皆おんなじ意見にならなくて良いし、おんなじ道を行けなくても、自分の心や魂が“今”選択するのであれば それはそれで良い( *´ㅅ`)⁾⁾
自分自身の責任で全てを自ら選んでいる
そして自分で取捨選択出来るような年齢になると 自分自身の責任で全てを自ら選んで来ています。だからカルマの法則と共に 選んだ結果は誰しも例外無く自ら受け取っている筈です。
そういうことが分かってきて 自分の本心に従おうと心のままに生き直して来た人たちも多いでしょう。
ワンネスとして全てと繋がっている…というのは 対極に在る人とも繋がっている…ということ
…そして 全体の調和や愛をワンネスに通じるそれらを元に 生きることで多くのことやモノ、人たちと関わりながら人生の時を すべての人は生きています。そういうことが 感じられなくても すべての人は繋がっている( *´ㅅ`)⁾⁾ウンウン
※これはハッキリと感じられていない人もまだ多いかもしれない…全てと繋がっている…というのは 対極に在る人とも繋がっている…ということでもあります。
…だから道を違える人が居たとしても ワンネスとして全体を観ると “自分”と 自分以外の全ての人・モノ・こと・全ての世界は繋がっているのです。
…( * ॑˘ ॑* )⁾⁾
分離し対立し争い違いを敵視し崩壊してゆく…、と 互いの違いを尊重し 全体の調和のために認め合う、…は まったく違う
…すると 分離では無く 愛と調和を目指すとしたら 「自分」というものをどう表現して行きたいと感じられるようになってくるでしょう( *´ㅅ`)⁾⁾ウンウン
「生きること」そのものが、愛とか調和を元に 大なり小なり その人 個人の特質でそれらを自分自身の心とか魂、意識の中心 ワンネスに繋がりながら 自分軸で 思う存分楽しみ 地球に在る状態に 皆が在ります。
…だから
なにかを恐れたり 悲しんだり することがあったとしても 長くそれら分離や不快、違和感に繋がるネガティブな感情は心の内に隠し続け無くても良い( *´ㅅ`)⁾⁾ウンウン
気付いたら手放し 自分の心や魂が求める ほんとうに手掛けたいこと関わりたいことに 自分の意識を向け続けて良い( *´ㅅ`)⁾⁾ウンウン
純粋に「今」を楽しんでいると 心の奥底のほうから滾々と愛や光は湧いてくる
シンプルに純粋に 「今」を 楽しんで 自分の選択を 自分の心とか魂が求め生きることを選択し続け 心や魂の声を聴きながら 自分の時間を大切にていねいに 過ごして行くようになると 知らず知らず 愛や光というものは 心の奥底から滾々と湧いて来るように感じられます( *´ㅅ`)⁾⁾ウンウン