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◆陰陽、太極、男性性 女性性、善悪、…様々な対極から読み取れて来るもの〈5162字〉꙳☄︎最終稿꙳☄︎
今回のテーマは 今回だけに留まらず、ずっと 考えて行けそうなテーマです。
対極にあるものから どんなことが見えて来るか
2015年 ティクナットハンさんがNHKの「こころの時代」という 番組で 話していたことがあります。とても感慨深く聴き入っていました。
過去に記事として挙げていた内容から
抜粋すると……
〈ティクナットハンの法話より〉
一本の蓮の茎を手に取り
左側が共産主義 社会主義としましょう。
右側が 資本主義としましょう。
どちら側も 自分が正義であり
反対側が無くなってしまえばいい、と思っている。
それでは 右側を切り落としてみましょう。
左側は 短くなりましたが 短い左側だった茎に また 右側は生まれているのです。
両極端にあるものには 相互共存があるのです。
*:.。o。.:*
それが「在る」という事は その反対側も存在する…という事になるのですね。
*:.。o。.:*
○○をすれば 幸せになれる。
○○を得れば幸せになる。
この考えは 苦しみが生まれます。
大きな牛を 得れば幸せになれる、
…と勘違いしている。
それこそが
幸せの障害になっている事に 気付いていない。
牛を得る事で幸せになれるという事を
手放し 自分を自由にしましょう。
そうすれば
本当の意味での幸せは現れます。
【引用おわり】
2015.10.29
『相互共存』とは?
……まさしく…似たようなことが自分の身の周りに色んな形で起きていて それは自分自身の中にも在ると 気付いている、また、既に 分かっている人達は多いのではないかと思います。
対極にあるものは 切っても切れない。
言われてみれば 「切り離せない」って部分 納得 出来るものです。
《陳式太極拳③陰陽太極図より部分抜粋》
【天地万物の共通理念】
太極図は、易学を研究する重要な図案だ。単純そうに見えて、その実は複雑。黒と白の2色だけで構成されているが、ここには天地万物に共通する規律と中華の伝統文化の核心理念が含まれている。
まず、太極図はひとつの総体である。このことは私たちに、すべてのものを全面的、総体的に見るよう教えている。
太極拳はまさに、
「周身一家(体全体がひとつとなる)」「一動無有不動(一カ所が動くと全てが動く)」「牽一発而動全身(一部を動かすと全身に動きがおよぶ)」と強調している。「内不動、外不発(内が動かなければ、外には発しない)」「腰不動、手不発(腰が動かなければ、手には発しない)」なども、
この理念による。
【対称、平衡の「陰陽魚」】
太極図の「陰陽魚」は対称で平衡がとれている。
太極拳も「剛柔相済(剛と柔が互いに助け合う)」「開合相寓(開と合が互いに宿る)」ことが求められており、動きは対称で平衡がとれていなければならない。
「陰陽魚」の黒い魚(陰魚)には白い目があり、白い魚(陽魚)には黒い目がある。これは、陰には陽があり、陽には陰があり、陰陽は互いに互いの根源となっていることを象徴している。
太極拳も開のなかに合があり、合のなかに開があることを重んずる。
太極図のなかで、陰魚が膨らんで大きくなっている部分は、陽魚が小さくなり、陽魚が大きくなっている部分は、陰魚が小さくなっている。
これは、相手が消すると自分が長じ、自分が消すると相手が長ずるということを示している。
太極図の「陰陽魚」は 緊密に融和し、対立する双方がおだやかに共存することを象徴しているのだ。
天地が交り、万物が生じる。世界のすべての物事は陰陽が交わって生じたのであり、その対立を統一することができなければ、離散や死にいたる。
太極拳を習う目的は、内と外をともに磨き、心と神をひとつにすることである。つまり、自身と外界の調和をとることなのだ。
太極図に 陰陽魚を見ると
動きが生まれる
太極図の解説から「陰陽魚」の言葉が出てきます。確かに魚にも見える。そして 魚、と見るとそこに動きが生まれて来ます。
右が陰→黒→女性性。左は陽→白→男性性。右回転しながら力が弱まったり強まったり強弱の波が生まれているのが 分かる。
そして おもしろいのは
今の世の中、インターネットと呼ばれる様々なtypeの図書館を携帯出来て いつでも調べることが出来る。何かを 観て意識の中に生まれて来る 自分の心の中で形に成りかかっているものを また、文字として見つけることも出来ます。
太極図を見て観察すると そこからどんなことが生まれてくるのか、自分の思考(意識が変化してゆく状態)を確認できたり、新しい知識が世界を拓いて行くのを感じて知ってゆくのは とてもおもしろい作業です。
世界をどうやって見たら 自分の世界はおもしろく成ってゆくのか、と構築してゆくことが 人生で執り行われている
この世の中、ほんと 知らないことが沢山あって 多角的な見方を繋げ 広げて世界を観てみようとすると、例えば一つの見方から解決出来なかったものも 沢山の可能性を見い出せたりして来ます。
自分が今 知り得ることなんて
ほんとうにちっぽけなものです。
ちっぽけな自分の、断片的に知っていたことがそこから少しずつ広い世界へと次第に繋がって来るのを見て 感じたりすると ほんとうに おもしろい。
外の大きな環が太極、環の中の白が陽で黒が陰でウロボロス(自分の尾を食う蛇、再生の象徴)のように右回りに循環しながら陽が増大したり減少したりしていくのです。陽の中に黒点があるのに注意して下さい。季節の巡りに置き換えれば分かりやすいでしょう。陰と陽は最初は等価値だったようですが、次第に陽を上位に見るようになりました。陽尊陰卑(男尊女卑)の表れといえます。
ウロボロスの話から
読み解いてゆけること
ウロボロスの話は うちの旦那さんは知っていました。私は初めて聞いた。
そうね、自分の尾を咥える蛇…
この太極図から見ると 陽の白い魚は陰の黒い魚の尾を咥え、黒い陰の魚は陽の魚の尾を咥えている。そして 互いが互いの尾を咥えながら 環を回転し進行方向に向かって泳いでいるとすると 互いのエネルギーの点が 互いの目となって表現されているのも分かります。
……だから、
互いが 互いの一部を 実は内包している、ということも観えて来るし、分かって来る。
太極図は 世界を表している
陰陽に限らず 四季の移り変わりや 八卦の流れさえも見えて来る…もしかしたら人によっては自分の人生、また自分自身の中にそれを観る人もいるでしょう
八卦の盤の中央に太極図が描かれているものを見かけたことがあります。
太極図が 陰陽、プラスマイナスのみならず、季節の移り変わりを感じ取ることも出来て、二十四節気、東西南北の方位、四神、八卦…など力、陰陽、明るさの強弱、暖かさの強弱、エネルギーの質、などの移り変わりの状態を表していることも 平面で太極図を見るところから 広く断片的な世界が重なって観えてくるように展開され物事が見え始めてきます。
太極図から分かってくること
太極図のなかで、陰魚が膨らんで大きくなっている部分は、陽魚が小さくなり、陽魚が大きくなっている部分は、陰魚が小さくなっている。
これは、相手が消すると自分が長じ、自分が消すると相手が長ずるということを示している。
相互共存。
まさに 両極は消えてなくなることは無い。どちらも 両極は交わらないようでどちらも 対極に在る性質を含んでいる。
…とすると 嫌い合う、争い合う、奪い合い、戦争、とか、なんて愚かで意味の無いことをしているのか…とも思えるし、そう観えてしまう。
それぞれの存在、互いを認め合って バランスが取れないものか…と思ったりする。
「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず」という言葉もあります。行き過ぎれば逆に転じるという意味です。
つまり陰も陽も長くそこに留まることなく、陰に入った時にいかに自分の内面を磨き、充実した日々を送ることができるかが、陽に入った時の生活が一段と違った生活を送ることができるようになります。
加えて陰と陽のバランスをうまく取ることも大事な点です。
私たちは陰と陽を行き来しながら、目の前にある物事だけに捕らわれることなく、長期的な視点も持ちながら過ごしていければと思います。
ジローさんの言葉から
学んだこと
ここで やんたらジローさんの講義を受けていた2015年の頃 講義内で 瞑想をする際、彼が話していたことを書き留めておきたいと思います。
プロテクトしようとすることが
攻撃する存在を生み出している
「瞑想する際、宇宙空間、高い意識空間に 自分の意識を高めて行く際、以前は 余計な意識体が触れて来ないように プロテクトするような文言を使っていたが、現在は使っていない。」と 話されていたことがあります。
自分の言葉や思考が 知らず知らず生み出しているものがある、と知る
…これはある意味 呪術のようなもの。
知らず知らず、自分の言葉、概念や信念などが、自分に呪いをかけていることも起きてしまっている、と知ること。
プロテクトする。…ということが、そういう意識体が在る状態を作り出してしまうことに繋がるのですね。
*守る、という意識が 攻撃する存在を生み出す…という感じ。
その当時、ジローさんは何故そうしたのか、を説明しませんでした。当時から、どうしてそれらの言葉、所作を使わないようにしたのか…疑問に思ってました。
「自分に問い続ける」
…というのは とても大切な行為
自分が解らないことを 自分自身で解明し続けることは自分自身の魂の成長に繋がっていると、実感しています。
誰かに「言葉」で教えて貰っていても、実際自分自身が 「理解」する、ということは、それが腑に落ちていて 実際「分かっている」から 自分の「現実に活かせる」…ということに繋がっています。
情報を受け取ることの先に
何があるのか?
本などで様々なことを人は学びます。
情報も今の時代、溢れている。
そういうものを得ていると 賢くなったような気分にはなる。一種の欲のようにも感じられます。
枯渇した状態を満たすための手段…のようにも観える。
私自身が感じるのは
自分の現実に実践しているものは、限られている。多くの善きもの…が外側に溢れていたとしても、実際に現実において実践出来るもの、活かせるものを選択し、自分に取り込むことをしています。それ以外はあえて触れない。必要無いから。
でも、これは長年様々なことを学んで来たから選別出来る今、があるのかもしれない。若い頃は自分が何に適しているのかも分からない時が確かに私にもありました。
時間が生む変化の中で 変化し続けている今の自分は どう生きたいのかを 定期的に 自分に問う
だから 自分の意図が曖昧なままずっと溢れる情報に触れ続けるんじゃなく、ある程度 定期的に自分は何をしたいのか、時間が生む変化の中で 今の自分は どう生きたいのかを 自分に問うと良いと思う。
すると どんなものに自分の心が惹かれ、心震えるのか…自分の特質に合うもの…がどんなものなのか分かってくる。
私は現実に意識をブレンドして扱うこと、それらを観察すること、それらの経過を観ること、そして 私を含む全体を 総合的に観て 新しいアプローチを考え工夫して少しづつ時間の中で変化している対象に対してこちらのアプローチも柔軟に変え続けながら実践することの繰り返しをメインに過ごしているので、余計な思念が入ると ブレを生じさせることがあります。
修正は欠かせないし、それには現状を把握する、自分が今何処にいるのかの確認も取りつつ、何かを受け取る時は受け取り 意識に留める、そして 受け取ったものは早目に活かす。
自分の意識の循環を意識しながら
時間の中で生きている。
気分転換、とか 気分を上げてゆく、気を軽く浄化し洗練させて行くためのアイテムはもちろん必要
何かをたのしむ、ということは 人が生きてゆくうえでとても大切なことだと誰しも分かっているはずです。
自分の魂へ喜びを与え続けることは 魂が食事を摂ることと似ている
大切なことを見逃さず それに真摯に向き合い続けることは 私にとっては 好きな行為です。これからも 今 大切だと感じることを 書き綴ってゆくこととしましょう。
今回は「対極」「太極図」「相互共存」「現実に外側から受けとったものをどう活かすか」「自分の意識の扱い方」「時間の中でどう生きてゆくか」「現実と意識のブレンドについて」「言葉や概念、信念が呪術に成りうること」……などなどに触れて書き綴りました。
また 機会があったら 続きを書いてゆくことに致しましょう。