主治医からの電話 ~介護と癒し~
3度目の転倒後、母の施設での食事は、普通食からソフト食へと変更になりました。
ソフト食は、いわゆるペースト状ではなく、まだ食べ物の形状は保たれており、私も少し見たのですが、想像していたよりも美味しそう。
母の嚥下の状態も、ソフト食に変更後、落ち着いているようです。
ただ、特に入浴の後などは、しんどさが残るようで、食事も途中でやめてしまうことがあり、食事量は少し減ってきているとのこと。
そういう流れもあり、主治医の先生から直接、今後のことに関する確認の電話がありました。
確認された内容は
「まだ少し先のことになるとは思うのですが」と前置きがあり、このような質問がありました。
・頻繁に痰が絡んだりしていると、朝起きたら亡くなって、冷たくなっていることもあります。その場合でも心臓マッサージを希望しますか?
・もし、口から食事をとれなくなった場合、胃ろうはどうしますか?
・今後、誤嚥性肺炎になる可能性もあります。その場合、入院を希望されますか?
・息が苦しくなった場合、酸素マスクはつけても大丈夫ですか?
・亡くなる直前になると、ご本人が水分を拒否される時もあります。その場合、施設で点滴は可能なのですが、希望されますか?
(体がむくむので、おすすめはしないとのこと)
大枠は、こんな内容です。
仕事中に、階段の踊り場で確認された事項ではありますが、(後日書面の郵送があるとのこと)比較的、自分が明確に記憶していることにも、少し驚きます。
「覚悟」というものなのか
施設からこのような電話がある旨聞いてはいたので、前回の面会時に、母にざっくばらんに確認をしていました。
私「もし胃ろうってなったら、する?」
母「いらん」と即答。
私「ああ、そう。私もいらんわ(笑) そしたら、最期まで、できるだけ自分で食べられたほうがいいね!」
こういう母娘の会話は、嬉しい会話ではありません。
が、「死んでしまう」というような受け身の姿勢ではなく、「生きたいように生きて、死にたいように死んでいく」ということを実現するには、大切なことだと感じさせられます。
自然に受け入れられたら
施設面会に時間制限がなくなったので、母の部屋にいる時間が長くなりました。
以前より、私がいても、母は眠っていることが多くなりました。
私は整体好きで、素人ではありますが、母がマッサージを望むこともあり、母の体を触っている時間が長いです。
マッサージをしながら、母の寝顔を見ていると、ゆでたまごの表面のようなつるっとした肌で(笑)、本当に赤ちゃんのようにスヤスヤ眠っています。
そして、本当にピュアで、ニュートラルな、そんな意識を感じます。
「もう母には、この体は動きづらくて、重く感じるだろうな・・」
と思いながら、できるだけ痛くないように、この肉体を手放してもらえたら・・そんなことすら感じます。
「”死”というのは、”生”が変化した一日にすぎない」と、先日聞きました。
実際にその場面を目にすれば、いろんな感情が湧き上がるでしょう。
しかし、そういった考え方も、以前よるも、何となく自然に受け入れ始めている自分を感じます。
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