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丁寧に暮らせないグラフィックデザイナー。よく考えたらバグ祭だった四半世紀をふりかえる。…

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丁寧に暮らせないグラフィックデザイナー。よく考えたらバグ祭だった四半世紀をふりかえる。家族を断捨離。ノンバイナリーのデミセクシャル。

最近の記事

恵みの春は、苦しみの春。

突然ながら、私は春という季節があまり好きじゃない。 三寒四温で気圧の乱高下が起こりやすくて、片頭痛持ちの自分には身の不調が起こりやすいからというのもあるけど。 何が一番ダメかって、父の日・母の日・こどもの日と、初夏にかけてファミリーイベントが目白押しで、世の中の情報が全般的に浮足立って、その暴力的な幸福感に打ちのめされて心がグチャグチャになるから。 別にね、いいんですよ。 順風満帆な皆さんには順風満帆に至るための努力だってあったでしょうし、不幸せよりは幸せであるほうが望

    • 生き苦しいの処方箋

      2年前のちょうど今くらいの時期、私は某ジェンダーレス声優さんのYouTubeを視聴して、自分にも性別に対する違和感があることを自覚した。 心のうえで女性であることに興味がなく、かといって、肉体のうえで男性に成り代わりたいとも思っていない部類の人間。 当時はそのように語った気がするけれど、あれから色々な情報を得てきた今、自分がどういった指向の人間であるかは「ノンバイナリーのデミセクシャル」とはっきり言えるようになった気がする。 LGBTQの当事者以外には伝わりづらくて、耳慣

      • 私はたぶん、デミセクシャル。

        きっと、自分はノンバイナリーとかクエスチョニングで、男とか女とかはどうでもよくて、自分の感覚では決まりきってない生き方の中に強く「女性性」を求められるのが鬱陶しくて、それでいつも恋愛が嫌になるんだと思ってた。 そうじゃないと気づいたのは、なんとなく登録していたマッチングアプリで、話も弾んで結構いい印象だったノンバイナリーの男性から、二回目に会う予定を持ちかけられたときだった。 「また会いたい」の一言に、心臓が痛くなるくらいの嫌悪感を覚えて、なんでか知らんけど、怒りにもよく

        • 後藤のじいじ

          私には祖父が3人いる。 そのうち血の繋がっている家系図上の祖父は当然2人なのだけれど、彼らがこの世を去るまでの間で、私が一番親しく「じいじ」と呼んでいたのは、母方の祖母と暮らす第3の祖父「後藤のじいじ」だった。 後藤のじいじは、私が小学校2年生か3年生の頃に75歳で亡くなったので、もうこの世にはいない。 だけどなぜそんなに懐いていたのかというと、幼少の頃から病弱な双子の片割れが体調を崩したり入院したりするたびに、手のあかない両親に代わって、私はよく祖父母の家へ預けられていた

        恵みの春は、苦しみの春。

          当方、ゴミ屋敷育ち。

          私の子ども時代を知っている人にとっては今さらの話なのだけど、私の実家はいわゆるゴミ屋敷だ。 生ゴミが散乱するとかのタイプではなかったものの、とにかく「本来捨てて構わないはずのもの」がいつまでも遺産のように残り続けて、人が住んでいるにも関わらず廃墟のような中身をした住まいだった。 (家捜しされたあとの強盗現場っぽい家と言えば伝わりよいかもしれない) 今にして思うと、一番の散らかし大将は私だった気がする。 物心つくかつかないかの頃にクリスマスプレゼントでもらった、どこにでもあ

          当方、ゴミ屋敷育ち。

          「死にたい」をやめる

          鬱持ちの私が手当たり次第に「死にたい」とわめき散らさなくなったのは、高校時代の大切にしたかった友人が一人死んでからだった。 彼女が亡くなったのは2020年の1月6日。 もしかしたら前の晩には亡くなっていたのかもしれないけれど、私の元へ連絡が飛んできたのはその日だった。 年明け最初の出勤日で気だるい中、職場のデスクで昼食をとろうかと思っていた瞬間だったことをよく覚えている。 正直に言うとその時まで、私は結構な頻度で定期的にこの世からスムーズにログアウトする方法を考えていた。

          「死にたい」をやめる

          先生っていう仕事

          ZOCのYouTubeチャンネルで、にっちやんが高校時代の話をしてくれた。 そこではかつて「生ハムと焼うどん」として一緒に活動したパートナー・東ちゃんのことにも触れていて、少なからず彼女らの活動に好意的な印象を持ち、色々な背景があっての断食にもそれなりの切なさを噛み締めていた一ファンの私にはたまらないインタビューだったのだけれど、それは今回ちょっと脇に置いておく。 私が生うどんの話と同じくらい「あー、ね」と謎の納得を得たのは、にっちやんの学生時代全般の振り返りの中に出てき

          先生っていう仕事

          青木志貴さんのLGBTQ配信を見て、自分に思うこと

          青木さんはLGBTQに関して、ご自分の性自認を「自分という器を活かしたオシャレやメイクが好きな"男"(要約)」であるとお話ししていた。 なんとなくそうなんだろうなと思っていたので、それに関してはあまり驚かなかった。 私にとってはゲイやオネエやレズビアンが比較的身近な存在で、そういった人たちと共存してきた温度感が、うすらぼんやり「きっとそうなのだろう」「まあでも私の好き嫌いを揺るがすほどの問題じゃないや」と上手いこと思考処理してくれていた影響もあるとは思う。 それよりも、あ

          青木志貴さんのLGBTQ配信を見て、自分に思うこと