体のパッキン
最初にお断りしておくが
今日のお話は若干汚い話題に触れているので
否、ガッツリと触れているので
食事中にこの記事を読まれるのは
後にすることをオススメする。
では、さっそく本題に入る。
私は毎日コーヒーを家で淹れて
それを水筒に入れて会社に持っていく。
最初はコストが安いからというのが
目的であったが、
自宅で淹れるコーヒーは濃さも味も
自分の好みなので
それを職場でも味わえるのは
やはり嬉しいものである。
先日もいつものようにコーヒーを淹れて
カバンに入れたのだが、
電車に揺られているときかすかに
どこかからコーヒーの匂いが
漂ってくる気がした。
街中を歩いている時ならば
コーヒーの香りが漂ってくるのは
それほど違和感がないが、
電車の中となれば話は別である。
過去の苦い思い出から私の頭が
警鐘を鳴らし始めていた。
早速カバンを開けて中を見てみると
若干ではあるがコーヒーが漏れており
カバンの中が湿っていた。
このエリアは弁当とコーヒーだけを入れていたので
幸い他の持ちものに影響が出る事はなかったのだが、
それでもショックがないといえば嘘になる。
一体なぜコーヒーは漏れてしまったのか。
手順はいつも通りで何一つ変わらないはずだし、
過去には閉めが甘くて漏れた事例もあるので
蓋はしっかりと閉めていたはずである。
にもかかわらずコーヒーは漏れてしまった。
その原因がわからないといつ再発するかわからないので
私はお気に入りのコーヒーを職場に持っていくことが
出来なくなってしまう。
そう思った時にふと一つの仮説が浮かんできた。
「もしかすると蓋のパッキンが取れているのではないか」
以前に息子が学校に持っていく水筒で
お茶漏れ事件が発生したことがあり、
その時には水筒の蓋についているパッキンが
外れていたことが原因であった。
そう思い、さっそく水筒の蓋を取って
裏側を見てみると
見事に本来あるはずの場所にパッキンが
なかったのである。
衛生面が気になるので毎日パッキンをはずして
洗っているのだが、
洗い終わって装着したと思っていた
パッキンを取付けわすれたのであろう。
極めて単純なケアレスミスである。
とはいえ原因がわかって安心したので
不本意ながら電車の中でそのコーヒーを
飲み干すことにした。
どうあがいても漏れることが分かっている
水筒をカバンの中に入れるのは嫌だからである。
そうしてコーヒーを飲んでいると
ふとあることが気になった。
今回こぼれたのはごくわずかなコーヒーだったのに
その匂いは漏れ、私は気づくことができた。
しかし、よく考えてみれば
私達人間はお腹の中に悪臭のする物体を
溜めているにも関わらず、
その匂いが漏れていないのはすごいことではないか。
思い出してみてほしい。
便意を感じてトイレに入ったとき
トイレは個室だと言うことを差し引いても
匂いがその空間に充満するはずである。
しかも洋式トイレの場合は出てきた排泄物は
速やかに溜まっている水の中に入る機構なので
排泄物が空気に触れている瞬間は
落ちるまでのごくわずかな時間。
にもかかわらずあれだけ匂いが充満するのは
私達のお腹には排泄物と同時に
多くのガスが封入されているからである。
そう考えると、私達の体のパッキンは
とても優れものではないだろうか。
ジャンプしようが、走ろうが、クルクル回ろうが
ダンスを踊ろうが、飛行機に乗ろうが
何をしてもその匂いが周りにひろがることはない。
それだけ高性能なパッキンを私達の体は
持っているのである。
しかし、そう考えた時に一つの疑問が生まれる。
私達人間にとって本来排泄をする場所は
いったいどこなのかということである。
「いやいや、パッキンの話からそれは
飛躍しすぎだろう」
そんなツッコミが聞こえてきそうであるが、
よく考えてみて欲しい。
私達の体はそれだけ匂いが漏れないような
高性能なパッキンを備えているが、
どこかではその匂いが出るものを排泄しなくてはならない。
ところが、それが適当な場所に排泄されたならば
住環境に否応なく匂いが充満してしまう。
だが、そうなってしまうと私達の体が
そんなにも高性能パッキンを備えている理由は
ないような気がするのである。
これは私達が雑食性の生き物だということとも
関連していると思う。
ご覧になられたことのある方も多いだろうが
草食動物であるシカなどは
草むらで草を食べながら、フンをしたりする。
私が住む町はすぐ近くに山があるので
結構当たり前のようにシカを目撃することがあるが、
芝生の公園などにはところどころ
鹿のフンが転がっているのである。
だが、鹿のフンの匂いが気になったことはない。
とても近くに鼻を寄せれば匂いはあるかもしれないが
少なくとも普通に生活している分には
ほぼ感じないレベルである。
これはシカが草食動物だからである。
草や木の実を食べてそれを発酵させることで
細菌由来のタンパク質を得ているので
彼らの排泄物にはタンパク質およびその残渣が少ないと
考えられる。
だが、私達人間はどちらかというと
肉食動物に近い食性を持っている。
食事の中でタンパク質リッチな肉や卵を
摂取するので、否応なく排泄物の中には
窒素や硫黄を含む物質が含まれてしまうのだ。
猫や犬を飼ったことのある方なら
それらの動物の排泄物の匂いは
イメージできるだろうが、
間違いなく鹿のそれに比べると匂いが強い。
ところが、イヌネコはトイレのしつけを
しない限り結構アチコチで排泄を
してしまう生き物である。
なぜ彼らはそんなに匂いが強く
衛生面でも問題のある物体を
テキトウな場所でしてしまうのか。
それは、彼らが肉食獣であることと
関連づけられるだろう。
彼らが本来野生で捕食するのは
小動物や草食獣の肉なので
捕獲したそれらの生き物の死体が
住環境の近くにあることは
彼らにとって当たり前のことである。
当然それらの死体は汚物も含むので
臭いは出てくるだろうし
内臓を捕食すればそれらが口に入ることは
想像に難くない。
なので、イヌネコは自分たちの排泄物が
その近くにあったとしても
それほど気にしないのである。
とはいえ、ご存じのように猫などは
排泄物をそのまま落とすのではなく、
上から砂などをかけて隠す行動をとるので
一定のルールは設けているようではあるが。
では私達人間はどうかというと
雑食という食性を採用している。
動植物を捕獲して食べることはできるが、
その時に食べる部位は基本的に
その動物の筋肉が主である。
今でこそ動物の内臓を食べる文化が一般化したが、
それも内蔵を適切な処理ができるように
なったからである。
かつてはこれらの動物の内臓は
捨てるものだったので、
”放る(捨てる)モン”からホルモンと
言われるようになったのは有名な話であろう。
動物の汚物が付着した内臓を
私達は食べることができないし、
仮に食べたとすれば健康を害してしまう。
ある意味危険な食べ物と言える。
そして、私達人間にとって自分の排泄物も
危険なモノと同じなのである。
ウサギが自分の排泄物をもう一度口に入れて
消化吸収するという話を聞いたことが
ある方も多いかもしれないが、
私達人間は決してそのようなことをしない。
なぜなら私達にとって排泄物はとても
危険なものだからである。
栄養的に見るならば私達の排泄物は
新陳代謝で排出された老廃物や
食事で吸収されなかった油脂、
そして消化吸収で残った残渣と合わせ
大量の腸内細菌で構成されているので
実はとても栄養が豊富なのである。
だが、いくら栄養が豊富といっても
私達がそれを食べようと思わないのは
やはりそれが危険なものだからであろう。
ここで最初の疑問に話を戻すと
私達人間にとって排泄をする場所は
どこなのかということを考えてみると
答えはシンプルである。
そう、トイレである。
原始時代には当然今のようなトイレは
なかったであろうが、
少なくとも排泄をしていい場所は
決まっていたのではないだろうか。
子供を育てる中でトイレトレーニングをさせて
トイレで排泄をするようにするのは
親の大事なタスクではあるが、
トイレで排泄をすることに私達が
驚くほど順応することができるのは
まさにこれが自然なことだからであろう。
何だか水筒のパッキンからとんでもないところに
話が飛躍してしまったが、
こうして考えてみると改めて
私達の体はよく考えて設計されているなと
関心するのではないだろうか。
この記事が日々奇跡のようなバランスを保ちながら
私達を動かしてくれている体に
改めて感謝をするキッカケになれば嬉しい。