今の言葉、プレイバック
何気なく日常で目にする言葉も
よく考えてみると不思議な言葉が
案外まぎれているものである。
そのような不思議な言葉を
掘り下げてみると、
その言葉が持つ背景など面白さを
実感できる。
それと同時に、不思議な言葉というものは
大抵の場合、何か心に引っかかりのような
モノを残すことが多い。
沢山の言葉に紛れていると気にならなくても、
それだけをピックアップして眺めると
何だかモヤっとするような気持ちになる。
砂場の砂をよく見てみると小さな貝殻が
沢山紛れているが、
その中でもとりわけ変わった形の貝殻のような
そんな存在が不思議な言葉なのである。
では、今日取り上げる言葉は何かと言うと
「ホンモノ」である。
先日の日曜日。
我が家の炊飯器の調子が悪くなったので
近くの家電量販店に家族で行ったときのこと。
炊飯器コーナーを眺めていると
同じ5.5合炊きの炊飯器なのに
安いものは1万円台から高いものは11万円まで
沢山の種類が並べられていた。
炊飯器などそうそう買い替えるものではないし、
前回買ったのは結婚したときなので
実に11年ぶりの購入。
はて、どれを選んでいいものかと
浦島太郎のような気持ちで選んでいた。
すると、高額な炊飯器に貼られた
商品宣伝のポップのようなものに
「この旨さ、ホンモノ」のような文言が
書かれているのを見つけた。
1万円の炊飯器と11万円の炊飯器で
同じお米を炊いて比べることはできないので
あくまで想像しかできないが、
恐らく炊き上がりは違うのであろう。
ホンモノという言葉には
とてもこだわったモノ、至高の一品のような
印象があるので、
毎日食べるお米にこだわりたいならば
この炊飯器を選ぶべきだという印象を
私は感じた。
だが、それと同時に
この言葉を使うことで他に並んだ炊飯器たちが
「まがいもの」と言われているような
そんな気持ちになってきたのである。
いうまでもなく、他のモノはまがいものではない。
ちゃんとお米を炊くことはできるし、
保温だってできる。
使用性ではどの機種を購入したとしても
大した遜色はないはずなのである。
さらに、それらの炊飯器で炊かれたお米には
出来栄えの違いこそあれど、
カレーとラーメンほどの違いは絶対にない。
どちらも茶碗に持ってしまえば
”炊かれた米”としてそこに差はないはずである。
にもかかわらず、他のものが”まがいもの”という
捉え方が出来てしまう”ホンモノ”という言葉が
使われるのは私の中でモヤモヤする気がした。
恐らく使っている側はそのような気持ちはないだろうし、
その高価な炊飯器を出しているメーカーが
廉価な炊飯器も販売していたので
彼らはそれらの炊飯機のことを”まがいもの”とは
決して思ってはいないはずである。
しかし、この言葉は受け手がモヤモヤする可能性を
いつも秘めている言葉なのだ。
子供の頃に何かのテレビを家族で見ていたとき、
その番組に出てきた人を見て父が
「この人はホンモノやで」というような
言葉を発した。
その人は建築関係の人。
そして父は大工をしていたので、
業界の人だからこそわかるすごさが
あるのであろう。
だが、何だかその言葉を聞いた時に
父は自分が”ホンモノ”ではないと言っているような
そんな引っかかりを感じたことが
いまだに記憶として残っているのだ。
人やモノを賞賛する機会はしばしばあるし、
賞賛することは素晴らしいが、
その言葉の裏には賞賛されなかった多くの
人やモノがいることは忘れてはならないだろう。
「ホンモノ」という言葉はどうしても
その点では極端すぎる言葉のような気がするのだ。
これだけ多様性が求められる時代。
一生懸命何かに取り組むかぎり
皆がまぎれもなく「ホンモノ」なのである。
言葉選びは一見簡単そうで実は難しい。
私も毎日こうして言葉を紡ぐ一人として
言葉選びには気をつけていこうと思う。