心のストッパー
私は通勤にバスを利用している。
今の会社に入社した10年前は毎日バスに乗ることに
大きな抵抗があったものだが、
いまとなっては何も感じなくなった。
そんなバス生活であるが、
私にはどうしても解せないことが一つある。
それは日によって乗客数が全然違うことである。
私が乗っているのは早朝のバスなので
基本的に学生が多く使う時間ではない。
ほぼ間違いなく近隣の企業に勤める会社員が
乗っているはずなのだが、
その人数は日によって大きくブレるのだ。
毎日乗っているといかに快適に
いつもの座席を確保するかが課題になる。
なので、日によってムラができてしまうと
都度戦略を変えなければならず
面倒なのだ。
とはいえ、私が電車を降りてバスに乗り継いだ時には
既に列が出来ており、
日によってその長さは全く異なるので
対策の打ちようもない。
つい先日バスに乗ろうと駅からバス停に向かい
バス停の見えるコーナーを曲がったところで
私は長蛇の列を発見してしまった。
そこで思わず「このムラはなんやねん」と
口から憤りがこぼれ出てしまったのだ。
偶然前にいた人がイヤホンをしていたので
気づかれずに済んだものの、
危うく他の人に私の憤りの声を
聞かせてしまうところであった。
実は最近、今回の様に憤りの言葉が
無意識のうちにこぼれ出てしまうことが
あるのが私の密かな悩みでもある。
先日もスーパーで買い物をしている際に
弁当に入れようとブロッコリーに手を伸ばしかけて
その値段を見て「え、高すぎやろ」と
知らぬ間に声を出していた。
流石にその声は他の方に聞かれてしまったらしく、
特に誰もリアクションはしなかったものの
恥ずかしい思いをしてしまった。
幸い今のところ心の声が漏れてしまう状況は
気を抜いている時に限られているので
仕事などで粗相をしてしてしまう可能性は
それほど高くないだろうが、
何気ない時にトラブルにつながらないとも限らない。
これは一体なぜ起こるのだろうか。
よく前頭葉の働きが衰えてくると
理性のストッパー機能が弱まり子供のような
行動をとるなどと言われるが、
私も少しずつ脳の働きが衰えてきているのであろうか。
もしくは、心の中にある感情の水位が
自分で認識していないだけで結構高くなっており、
一時的に感情が流れ込んできた際に
簡単にあふれてしまうのであろうか。
私は今40歳なのでまだ前者のような
脳の衰えを実感するには早すぎる気もする。
そうなると後者のように実は心の中には
色んな感情が溢れているのかもしれない。
確かにこうしてnoteに自分の感情は
定期的にアウトプットはしているものの、
逆にそれ以外の機会で自分の感情を
アウトプットする機会は少ない気がする。
一時アウトプット方法として紙に書きだすことを
しばらくやっていたが、
もしかするとnote以外のアウトプットが
必要なのかもしれない。
少なくとも電車で私が降りる前に座席を虎視眈々と狙う
オジサンたちに対して
心の声が漏れ出てしまう前に対処しなくては
ならないだろう。