見出し画像

”小遣い”がブレーキになっていないか

あなたはお金を自由に使うことができるだろうか。

もちろんジュースを買うことができるかどうかという
次元の話ではない。

例えば数万円もするような何か欲しいものがあれば
あなたは気兼ねなく買うことができるだろうか。

そう聞かれれば、Yesと即答する人もいれば
逆に「う~ん」と悩む人もいるだろう。

私は完全に後者。

なぜなら小遣い制で、自由に使える金額が
極めて限られているからである。

とは言え、大きいものを購入するならば
自分のお金があってもよさそうなものだが、
私にはそのお金もない。

なのでもし自分の小遣いの範疇を超えるものを
買おうと思えば、
妻にお伺いを立ててお金を出してもらわなくては
ならないのである。

そして、最近私はしばしば自分が色んなことに
ブレーキを踏んでしまう一つの理由が
この小遣い制にあるような気がしている。

それはなぜか。

自分がやりたいと思うことに対して
自分の意思ではなく、
妻の意向を確認するという習慣が
小遣い制によりついてしまったからである。

例えば、かつて私はオオクワガタのブリードにおいて
夏場の温度管理を実現するために
自作で保冷庫を作ろうを目論んでいたことがある。

そうすることでこれまでできなかったような
ブリード方法の選択肢が広がるからである。

もちろんもっとお金をかけるのであれば
温度管理をする術はいくらでもあるのだが、
極力コストをかけずに、自ら作ってしまえば
それを作るプロセスまで楽しむことができる。

そう思い、簡単な設計図を描いたり
必要な材料のリストまで作成していた。

だが、そのコストの範疇は
私の小遣いの範囲を少し超えていたのである。

いくら市販品よりも安いとはいえ、
冷却をするために電子機器が必要なので
多少はコストがかかってしまう。

本来ならば小遣いを数か月貯めて
それで購入すればいいのかもしれないが、
私の小遣いは一般的に成人男性が配偶者から
もらっている金額に比べると極めて少ない。
(平均の1/4~1/3の額)

今でこそお酒は完全に飲まなくなったものの
当時は1日1本の晩酌を楽しみにしていたし、
出張に出れば嫌でも昼食を外食にせざるをえない。

そうなると、小遣いは殆ど残らなく
なってしまうのである。

というか、出張が重なるとそれだけでも
小遣いが無くなってしまうので
昼食時をまたぐ出張に出ることを
恨めしく思っていた事すらある。

そんな状況なのでやりたいことをしようと思うと
私は概ねかかる費用と
なぜそれがしたいのかを
簡単にまとめ、妻にプレゼンしなくてはならない。

さながら会社で予算外の支出を稟議書を書いて
承認を得るようなものである。

だが、プレゼンを行った結果、コスト的なことと合わせて
スペース的な問題があるということで
結局その案は否決されてしまった。

ならばサイズダウンをした場合どうなのかも
当時検討はしてみたものの、
サイズダウンしてしまうと結局管理できる
昆虫の数が減ってしまうので、
思い切ったブリードはできない。

相手が生き物なので数のコントロールは
非常に難しいので、
サイズダウンする案は現実的ではないということで
結局この検討自体をやめることにした。

設計図を描いて、制作している自分を
想像していた時にはワクワクした気持ちになったのに、
その気持ちが嘘のようにしおれていくのを
私はその時に実感した。

それと同時に、小遣いが少ないことでやりたいことを
諦めたくないと思い、
私は小遣い以外で小さな収入を得る術を
模索することにした。

アンケートアプリでチマチマとポイントを貯め、
そのポイントを支払いにする方法、
読んだ本を中心にメルカリで販売することで
その売り上げを現金化する方法、
Kindle本を出版してその収益を得る方法、
過去には色々と試してきた。

Kindle本などは20冊以上出版したので
今でも月に1000~2000円程度の収入はあるのだが、
新規のKindle本を今は出版もしていなければ
その他の方法もやめてしまった。

なぜなら時間があまりに足りないからである。

ただでさえ時間がない中で色々なことを
工夫してやっているのに、
そこに副業を入れようと思うと
睡眠時間を削るしか方法がない。

そんなことを続けていては今度は
体が悲鳴を上げてやりたいことどころの
騒ぎではなくなってしまうであろう。

なので、ある時から私は余計な野望を
抱くことなく、
小遣いの範囲で生きていくようになった。

幸いなことにコロナがあり飲み会は殆ど無くなったし、
お酒を飲むこと自体をやめたので
その分のコストはかからなくなった。

だが、少し前に読んだ本で自分が数年後に
どのようになっていたいのかを考えたとき、
自分にとってこの経済的な理由がブレーキになっていたかを
痛感したのである。

もちろん本当に自分がしたいことならば
お金を作る方法はいくらでもある。

だが、そのハードルの高さ故に
そもそもやりたいことに目を向けること自体を
私は避けていたのである。

そうして知らぬ間に私は自分が何をしたいのか
よくわからないようになった。

もしかすると多くの人が私と同じように
小遣いという制約がブレーキになり、
知らぬ間にブレーキを踏むことに慣れすぎて、
常時ブレーキになってしまっているのでは
ないだろうか。

私は決して小遣い制自体を否定したいのではない。

それは家庭によってそれぞれ事情があるだろうし、
小遣い制をとることによって得られたものがあると
私も感じている。

だが、それが間違いなくやりたいことに対する
ブレーキになることを
私たちは忘れてはならないと思うのだ。

自分がブレーキを踏んでいるならば、
そのことを認識していないと
知らぬ間にブレーキを踏むことが当たり前になり、
いつかはブレーキが固定化されてしまう。

今あなたは本当にやりたいことを思い描けているだろうか。

もしやりたいことが思い浮かばないならば
あなたには気づかないうちに踏んでいるブレーキが
あるのかもしれない。

ちなみに一時自分の小遣いが少ないことを
ネットで調べてみたことがある。

その中で自分よりも多くもらっている旦那さんが
奥さんに足りないと要求して、
奥さんが理解できないと書いている掲示板に
驚くほど批判的なコメントが書かれていた。

そのコメントから密かに勇気をもらったのは
ここだけの話である。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集