自己承認できたことで楽になった話
私の働く会社が所属する工業組合の賀詞交歓会が
昨日の夕方から開催された。
会員企業がホテルの宴会場に一堂に集まり
立食をしながら話を聞いたり歓談する場である。
私がこの会に参加するのは三度目で、
この会では色んな企業の方とお会いして
情報交換ができるとともに、
日ごろあまりやり取りしない業者の方とも
コネクションを維持できるので
毎年ではないものの、
できるだけ参加するようにしている。
夕方に会場に到着すると中には100人近い人がおり、
開会前にもかかわらずあちこちで
すでに新年の挨拶が繰り広げられていた。
そして、この時私は思い出した。
毎回この場は私にとって
途轍もなく居心地の悪い空間なのだ。
よく見知った業者の方は数名いるものの
それ以外の方々はなんとなく知っている程度。
こちらから挨拶に行こうと思っても
既に見知った方と話をされているので
そのタイミングをうかがわなければならない。
そんな中でもマグロがエサを捕食するように
絶妙なタイミングでその輪に入っていき
次々と挨拶をしていく猛者たちもおり、
何となく出遅れてしまう。
この居心地の悪さを過去2回感じていたことを
見事に忘れていた私は
目の前にひろがる光景に唖然とした。
だが、過去に参加したときに感じたある感情が
今回は出てこないことに気が付いた。
それは、うまく立ち回れない自分に対する
劣等感である。
このような場において色んな人に挨拶して回り
どんどん顔を広げていく猛者たちを見て
過去の私は大きな劣等感を持っていた。
彼らのようにいい意味でズケズケと
相手の懐に入っていけばいいと心ではわかりながら、
行動に移すことができない自分が
とても情けないような気がしたのである。
ところが、今年はそんな人たちを見て
すごいとは思うものの、劣等感のような感情は
不思議と湧き上がってこなかった。
それはなぜか。
私自身が内向的なタイプであり、
それを無理に矯正することはないと
思うようになったからである。
以前、この本を紹介する記事を書いた。
この本の中には内向型の人が生きやすい生き方の
処方が書かれているとともに、
内向型の人が無理に外向型のようにふるまわなくても
内向型だからこそできる役割があることが書かれていた。
私はこの本を読んだ際に、
なぜか妙な安堵感のようなものを覚えたのだが、
もしかするとそれは今回の会のような
多くの人が集まる場において
上手く立ち回れない自分を許容できたからでは
ないだろうか。
そして、それゆえに今回私は会に参加しても
比較的自分らしく振舞えたのかもしれない。
相変わらず居心地の悪い空間であることに
何の変わりもなかったが、
何だか自分を責めなくてもいいだけで
過去とは辛さが全く違っている気がした。
読書をしているとどうしても自分のことを
肯定するような内容を選んで読んでしまいがちである。
それは私たちが確証バイアスを持っているからであり、
自然な事でもあるのだが、
そのような読み方ばかりしていると
考え方や知識は間違いなく偏り、そして固まってしまう。
だが、時には自分をかき回すような本を読むことで
凝り固まった考えから解放され、
楽になることもあるのだ。
まさに私にとってこの本はそんな一冊である。
会が終わって帰る電車の中で
そんな内向的な自分を大事にしてやろうと
改めて思ったのであった。