困難を超えられる楽しみ
昨日は午後から息子のサッカーの試合であった。
正式な試合ではなく、定期で行われる近隣チームとの
交流戦である。
自然学校などのイベントがあった影響で
息子にとっては少し久々の試合だが、
毎日友達とは学校でサッカーをしているし、
家に帰ってからも友達とサッカーをして
遊んでいるので、
私的には特に心配はしていなかった。
そうして息子を試合会場に連れていき、
アップ、試合とその様子を見ていた。
すると久々の実践だからか、
息子の動きは何だか焦りのようなものが
あるように感じられた。
友達と遊びでするサッカーと
相手が真剣にボールを奪いに来る試合では
やはりプレッシャーも厳しさも違うのであろう。
コーチからも息子に対して檄が飛び
ほどなくして1試合目が終わった。
この交流戦では参加している2チームの
11歳以下、12歳以下のチームが
交互に試合をする形式であるが、
息子が所属するチームは6年生の人数が少ないので
5年生は実質ずっと試合をし続けなければならない。
少しの休憩を経て、2試合目が始まった。
1試合目で走り回った後であるものの
疲れを感じさせることなくプレーし続ける子供たち。
相変わらずコーチからの指導の言葉が続き、
2試合目が終了した。
その後も少しの休憩をはさみながら
何度も試合が続けられ、
ちょうど3時間が経過した頃
息子の動きに疲れが見えだした。
フル出場ではないものの、これだけ試合を重ねれば
疲れが出るのも仕方ないと思うが、
コーチからはその疲れた様子に対して
檄が飛ばされた。
息子は自分自身のプレーに自信があるわけではないらしい。
だが、体力は負けたくないと
定期的に自ら外を走りに行っているので
彼的には体力がないことをコーチに指摘されたのは
悔しかったらしい。
試合が終わった後、泣きはしていなかったものの
明らかに悔しそうな様子であった。
だが、彼もそんな自分の様子を
私に悟られたくない雰囲気が出ていたので
あえてそっとしておくことにした。
そんな息子の様子を見ながら私はふと思った。
なぜ彼らはサッカーをするのだろうか。
正直、サッカーはとてもしんどいスポーツである。
小学生の正式な試合では20分×2=40分で試合が行われ、
その間実質選手たちはピッチを走り回る。
しかもただ走り回るだけではない。
相手との接触も多いスポーツなので、
転倒やけがをすることもしょっちゅうである。
さらにコーチや監督からはプレーに対して
厳しいことを常に言われ続ける。
今の時代、会社でその言い方をすれば
パワハラだと言われかねないような指導が
なされることもしばしばある。
私はサッカーをしたことが全くないし、
サッカーをする楽しさがイマイチわかっていない。
なので、彼らがこんなにも過酷な環境の中で
それでもなおサッカーをしようと思えるのが
とてもすごいと思うのだ。
私ならば自分が全力を出してプレーしているのに
あれだけの指導をされるのはイヤだと思うし、
悔しいと思ってしまうだろう。
なぜ彼らはそんな気持ちを押してまで
サッカーをするのだろうか。
もちろんしんどかったり辛いことばかりではなく、
プレーをしていて気持ちいい瞬間はあると思うが、
それでも彼らがサッカーを続けられるのは
やはりサッカーが好きだからなのだろう。
そして、そんなスポーツに出会えた彼らが
とても羨ましい気がした。
やりたいことがわからない若者が多いと
巷では言われている。
かく言う私はどうかというと、
明確に何がしたいというものはない。
以前も書いたようにこれは色んなブレーキを
知らぬ間に踏んでしまうからだと思っているが、
正直、サッカーに夢中になる息子たちのように
色んな困難があったとしてもやりたいと思えるような
趣味は何一つない。
そんな私からすれば彼らのように
サッカーに夢中になれることはとても
羨ましいと思うのだ。
帰るころには外は寒くなってきたからだろう。
帰りの車の中で暖房をかけると
たちまち眠そうに目を擦る息子を見ていると、
私にとって困難を乗り越えて楽しめる趣味とは
こんな彼らを応援することなのかもしれないと
ふと感じた。
まだまだ試合は続くし、他の保護者との関係構築も
正直面倒ではあるが、
彼らの応援を楽しんでいこうと思う。