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植物が持つ力
先日亡くなった叔母の遺品整理を
していたときのこと。
叔母は割とCSテレビの通信販売などに
コロっと乗せられてしまうタイプだったので
部屋からは怪しげな開運グッズなどが
色々と出てきて処分に困っていた。
別に何の変哲もない箸にも「開運」などと
書かれてしまってはなかなか捨てにくくなるのが
私達日本人というものである。
とはいえ、それを自分が持って帰って使うかというと
全く使う気がしない。
叔母が住んでいたのは高齢者の方が住む
専用の住宅だったので、
この手の怪しいグッズは叔母と親しくしてくださった
近くの高齢者の方に引き取っていただくことになった。
それ以外のものは貴金属や装飾品は
別途親族に分配する機会を設けるのため
隔離しておいて、
それ以外の細々したものは廃品回収の業者さんに
一式処分して頂くことにした。
ところが、そこで一つ気になるものがあった。
それは観葉植物である。
叔母は94歳の高齢者であったが、
昔から部屋に必ず観葉植物を置いていた。
叔母が育てていた観葉植物が青々と葉を
付けている様子を見ていると、
叔母の形見として私が持ち帰るべきだと
ふと思い立ったのだ。
叔母が育てていたのは3種類の植物で
1種は私がこれまで一度も育てたことのない
種類であった。
私は車に慎重にそれらを積み込み、
自宅に持ち帰った。
実は我が家には観葉植物が既に沢山いる。
私自身植物が好きというのもあるのだが、
妻がホームセンターなどに行く度に
観葉植物をなぜか欲しがる時期があり、
その頃に結構な数が部屋の中に置かれたのだ。
とはいえ、2~3日に1回の水やりと年数回の追肥、
そして背丈が大きくなってきたら鉢の植え替えを
行う程度でそれほど世話に手間のかかるものはない。
どの植物たちも我が家に来てもう5年以上になる
ベテランたちばかりで、
私にとっては子供のような存在である。
そんな中に叔母が育てた観葉植物たちを並べると、
不思議なことに元々我が家にいた植物たちが
彼らを歓迎しているように私には見えたのだ。
そんなもの気のせいだろうと思われるかもしれない。
だが、まぎれもなく私は植物たちが
仲間が来たことを喜んでいるように見えたのだ。
森林浴によるリラクゼーション効果について
耳にすることが時々ある。
これは樹木が発する化学物質の総称である
フィトンチッドの影響だという説があるが、
私は決してそれだけではないと思っている。
神社仏閣の境内にたたずむ高樹齢の樹木に
パワーをもらえるように、
植物自体が持つ力のようなものが
人間とどこか共鳴しているような気がするのだ。
そしてこれは家の中で育てている観葉植物も同じ。
この植物たちに水をやり、世話をすることで
植物たちと会話をしているような気持ちを
私は感じている。
もしかすると一人で暮らしていた叔母も
この観葉植物たちと会話をしていたのかもしれない。
そんな風に叔母と会話していた植物たちが
遺品整理の際に私にメッセージを送り、
その結果我が家にやってきたと思うと
何だか不思議な縁のようなものを感じてしまう。
結果として私が世話をする植物の数は
増えたわけであるが、
部屋の片隅に青々と茂る植物のエリアは
今日も私にパワーをくれている気がした。
ちなみに我が家の外には花壇も芝生も
そしてシンボルツリーもある。
こんなに驚くほど多くの植物に囲まれ、
彼らの世話を一人でしている自分は
結構スゴい気がする。
有森裕子さんではないが、
たまには自分で自分を褒めたいと思う。