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優しさのデメリット

私は子供のころから優しいと言われてきた。

同性からも異性からもそう言われることは
私にとって慣れたことの一つである。

だが、そんな私でも優しくいられないときが
時々ある。

このことは過去にも記事に書いた記憶がある。

その時には車で他の人と同行出張に行くと疲れ、
その影響で家に帰ってから
優しさゲージが減ってしまうというようなことを書いた。
(記事が多すぎて自分でもどの記事だかわからなかった)

つまり、優しさは有限であり、
それを仕事の中で消費しすぎるがゆえに
優しさが使えなくなると考えたのである。

その考え方で間違いないと思っていたのだが、
昨日の私は以前感じたのと同じように
家に帰ってからも心の中にトゲのようなものが
ずっと残った感じがしており、
家族に優しくするのが難しいと感じた。

昨日は出張になど行っていなかったにも
関わらずである。

では、昨日は一体何をしたのかというと、
ほぼ終日実験をしていた。

製造現場の実機を使った実験をしようと思うと
製造を止めなくてはならないので
日々の生産の中で少しずつ試作品を
入れていくスタイルで私は日ごろ実験をしている。

ところが、昨日は色んな偶然が重なり
その製造ラインが終日自由に使えることになったのだ。

こんな機会はなかなかないので、
以前から検証をしようと思っていた項目を
この機に全てやってみようと思い立った。

リストを見てみると実験内容は30項目以上。

ざっと見ても5時間ほどかかる計算である。

そうして実験をしながら次の実験の準備をして、
記録を残すことを繰り返していると
昨日はあっという間に仕事時間が終わった。

実際にやっている時には何とも思わなかったのだが、
片付けをしているときに自分の体に
とんでもないほどの疲労が張り付いているのを
私は感じた。

帰りのバスでは座席に座れたと思ったら
いつ寝たのかわからないほどあっという間に
眠りについていたほどである。

そうして自宅に着いて、
子供たちと話しながら家事をし始めると
何だか心の中にトゲのようなものが
あることに気が付いた。

過去からの経験で私はよく知っている。

このような時には余計なことを言ったりしてしまうので
ブレーキを踏んでおかなくてはならない。

昨日は家族がテレビをつけていたので、
その内容に少し悪態をついたりしてしまったものの、
何とか家族に悪影響を与えることなく
眠りにつくことができた。

だが、ここで私は疑問に感じた。

昨日は人に気遣いをする機会も少なく、
優しさを消費したわけではないのに、
なぜ優しさではなくトゲの部分があんなにも
顔を出していたのであろうか。

もしかすると、優しさが消費したのではなく
エネルギーが消費されすぎたことにより
優しさというクッションが作れなくなったのではないか。

消費されたのが優しさそのものではなく、
優しさの原材料となるエネルギーだとすれば
今回の事象は理屈が通ることになる。

そして、そう考えると
以前から疑問に思っていたナゾも
一つ解ける気がした。

それは忙しい時に人に優しくできないというナゾである。

日ごろは優しいのに、忙しく余裕がなくなってくると
途端にトゲトゲする人は多いが、
それがずっと私は疑問であった。

優しさを消費するだけであれば、
忙しくても別に問題ないはずなのに
なぜか多くの人が優しさを出せなくなる。

これもエネルギーを優しさに変換すると思うと、
それは簡単に納得することができる。

忙しいがゆえにエネルギーを仕事に向けすぎて
優しさを作れなくなっている状態なのだ。

しかし、そう考えてみると
人に優しくあることは実はとても余計な
エネルギーを使いすぎているということが
言えてしまうのではないだろうか。

人に優しくあることは対人関係においては
優位に働くことが多いし、
それほど損することは多くないように思われがちだが、
優しくあることにエネルギーを多く使いすぎると
本質的な部分にエネルギーを割くことが
出来なくなってしまうのである。

冒頭にも書いたように私は子供のころから
優しいとよく言われてきたが、
それは優しさにエネルギーを多く使ってきたからに
過ぎない。

一人暮らしをしていた頃に比べて
結婚してから余裕がないと思うようになったのは
物理的な時間や家事負担だけではなく
実は家でも優しさに変換するための
エネルギーを知らず知らずのうちに
使っていたからであろう。

では、私がするべきことは何か。

それは過度に優しくなりすぎないように
コントロールすることである。

別に人に優しくしないというわけではない。

自分が気を遣わなくてもいい部分にまで
優しさを提供することを意識的にやめてみることで
多少なりともエネルギーの消費を抑えることができる。

優しくあることにエネルギーを使うということは
私にとって大きな発見であった。

昨日の実験では思ったような結果が出ずに
残念に思っていたが、
まさか家に帰ってから思わぬ仮説に
たどりつくことができた。

やはり日常と違うしてみることは
何かしら学びがあるものである。


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