会社に甘えていないか?
先日部下からとあるメールが来た。
あまり具体的なことは書けないが、
会社の福利厚生に対する不満と
その改善を求める内容であった。
私も若手社員だった前職で働いていた頃、
色々な不満を持っていたものである。
なぜこんな規則になっているのか?
と不思議に思うこともあったのだが、
それを上司にぶつけたことはなかった。
なぜなら、そんなことを上司に言うことは
許されないような雰囲気が
当時は流れていたような気がするからである。
しかし、時は流れてそのルールの中で
仕事をし、プライベートとのバランスを
とるようにしていくと、
特に不満を感じることもなくなった。
今回部下から来たメールを見て、
私は最初「若いな」と思ったのだが、
それと同時に私はなぜ歳を重ねて不満を感じなく
なったのかが不思議になってきた。
最初私の中に浮かんでいた言葉は「諦め」であった。
確かに組織では何をやっても変えられないものはある。
私は歳を重ねるごとに会社の制度は変わらないと
諦めるようになったのであろうか。
間違いなくその一面はあるだろう。
だが、私が不満を感じなくなったのは
諦めだけでは決してないような気がするのだ。
私の中で「諦め」の要素が占める割合は30点である。
他の70点は一体なになのか。
そうして考えていったとき、
10年ほど前に読んだとある本の
フレーズが頭に出てきた。
今となってはどなたが書かれた本かも
定かではないし
少々極端な考えが書かれた本であったが、
その中で筆者は「会社に甘えるな」と書いていた。
当時私は結婚したばかりで、
会社が家賃負担をしてくれていた一人暮らし先から
妻と住むアパートに引っ越した頃であった。
会社の制度としては結婚しても家賃手当は
つくのだが、
私の場合は妻の家庭の事情もあり、
その手当が付くかどうかギリギリの場所に
住むことになったので、
当時何度か総務とそのことでやり取りをしていた。
(会社からの距離が規定に定められていた)
そんなときにその本に出合ったのだ。
その本では会社に甘える一つの例として
まさに私がその時やり取りをしていた
家賃手当のことが書かれていた。
『いい社会人が会社に家賃まで出してもらい
いつまでも会社に甘えていてもいいのか。
そんなことではいつまで経っても自立などできないし
会社のいいように使われるだけである』
文言は定かではないがこのような内容であったが
それを読んだとき私の中で
何かが氷解したような気がした。
なぜなら私自身、会社に甘えることに対して
疑問を感じていたからである。
この時はなぜそんな疑問が自分の中にあるのか
全く理解できていなかったのだが、
この本を読んでその理由が分かった気がしたのだ。
労働者にとって福利厚生が大切な要素であることは
言うまでもない。
しかし、それがそれに甘えすぎてしまうと、
私たちは自分のプライベートな判断すら
会社に委ねることになってしまう気がするのだ。
本来ならば住む場所など
誰にも指示されるべきものではない。
自分が住みたいと思う場所に住むことは
国民としての権利なのである。
ところが会社の家賃手当を目的に住む場所が制約され、
色々なものを妥協するということは、
まさに自分の大事な選択を会社に委ねたことに
なってしまう。
その時の私はそんな風に思っていたのだが
当然ながらこの決定には妻の意向も考慮せねばならない。
妻の意見は会社の補助を受けながら
今は貯蓄をして、早くに補助を受けずに住める
持ち家を手にするほうがいいのではないかと
いうものであった。
それも一理ある気がするし、
妻と話をして家計の管理のメインは妻にしてもらうことn
なっていたので、
当時の私はその意見に従うことにした。
そうして、その会社で働いていたが
私はとある理由で転職をした。
そして今の会社に入ったのだが
今の会社には家賃手当はなかった。
それを知った上で入社したので不満はなかったが
これまで補助されてきた家賃が自己負担になるのは
やはり痛かった。
だが、私はそのとき心の中でようやく
自分が会社から自立できたような
奇妙な解放感を感じた。
その頃からであろう。
私は会社の福利厚生や制度に対して
大きな不満を感じることがなくなった。
もちろん不満と感じることが0ではないが
その分私も有給休暇や特別休暇などの
従業員としての権利を行使させてもらっているので
別に会社に甘える必要もないと考えるようになった。
もしかするとこれは先ほど30点と評した
「諦め」のように見えるかもしれないが、
諦めは期待があるからこそ、生まれるものである。
会社に甘えるということは期待するということなので
ある意味私には会社に対する期待はない。
なので、私の中では「諦め」ではないと思うのだ。
今回部下からメールを受け取って
もちろんこんなことを本人に話すつもりはない。
これはあくまで私の考え方に過ぎないからである。
しかし、私はこの考え方に至ってから
会社で働くことがとても楽になった気がしている。
私たちは苦しめるのはいつでも相手に対する
期待なのである。
期待があるからそれが外れたときに
私たちは不満やイラダチを感じてしまう。
つまり、そもそも期待をしなければ
私たちはもっと楽に生きられるはずなのだ。
いつかこのメールを私に送った部下も
そのことに気が付いてくれると嬉しいなと思いつつ
人事部に相談のアポを入れる私であった。
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