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今を全力で踊るということ

先日義父の詩吟を鑑賞した話を書いた。

それはそれでなかなか貴重な体験であったが、
実はその日、同じ会場で地元の老人会のイベントが
同じ会場で開催されていた。

地域の広報誌を毎月読んでいるので
その存在は知っていたのだが、
実際に活動をしているのを見たのは初めてだったので
帰る際にチラリと中を覗いてみることにした。

中には80代ぐらいと思しき高齢者の方が沢山おり、
ちょうど舞台上ではダンスを踊っているところであった。

彼らが若い頃に流行った曲のリメイク版に合わせ
高齢者の方々が躍るのだが、
舞台で踊る方々の様子と、会場で一緒に踊る観客の様子が
かつてNHKで見た「おかあさんといっしょ」のライブで踊る
子供たちの様子と重なって見えた。

それは高齢者の方々が躍るダンスが
とても簡単なものだったのもあるが、
舞台上で少しはにかみながら楽しそうに踊る様子は
我が子たちが3~4歳の頃の様子に似ていると
私は思った。

人生の大先輩に対してこの例えが失礼なのは
百も承知であるが、
率直に私はそう感じてしまったのである。

人は歳を取り、少しずつ子供の頃に戻ると
言われている。

脳や体の機能が衰え、
かつてできたことができなくなる。

これはまさに成長とは全く逆のプロセスである。

先ほど私が高齢者の方々に似ていると思った
踊る幼児たちの様子を実際に見たならば、
私は可愛いと思うであろうし、
微笑ましい気持ちで眺めるであろう。

それは彼らにはこれから成長というプロセスが
待っているからではないか。

今は拙いダンスを踊っていたとしても
少しずつダンスの質はあがり、
観客が驚くようなダンスができるようになる。

仮にダンスの道に進まなかったとしても、
彼らはそこから間違いなく成長し、
色んなことができるようになる。

では、私が今回目の当たりにした高齢者の方々は
どうであろうか。

彼らは間違いなくかつてはもっと聡明なダンスが
踊れたはずであるし、
これからさらに踊ることができる範囲は
狭まってくるだろう。

こうして考えると、彼らのダンスは
何だか寂しいように思えてしまう。

だが、彼らの様子にはそんな寂しい雰囲気は
1㎜も見られないし、
むしろ私たちよりもずっと楽しそうに見えた。

これは一体なぜなのだろうか。

そう考えてみた時、あることに気が付いた。

幼児にしても高齢者の方々にしても
両者ともに今できる全力を出しているという点で
同じなのである。

これから上がるか下がるかなど
彼らには一切関係ない。

今自分にできる最高のダンスをする、
ただそれだけであるし、
その時の最高のダンスをするために
彼らは練習してきたのである。

私達はつい物事を見る時に
未来がどうなるのかを考えてしまう。

だが、どんなシチュエーションにいたとしても
私達にできることはただ「今を全力で踊る」こと以外にない。

そして、そうすることが唯一人生を
全力で味わえることではないだろうか。

舞台で踊る人達も、それを見ながら観客席で踊る人達も
いまの自分にできるベストを出して
この瞬間を味わっている。

そんな彼らはとても楽しそうであった。

むしろ、未来を見るばかりに意識を向け
いまを全力で踊れていないのは
私達の方ではないだろうか。

日々忙しい日々の中でいつの間にか
全力で踊ることの楽しさを忘れ、
いつしか全力で踊ることを恥ずかしいと思うようになった。

全力で踊り、そして楽しむ高齢者の方々を見て
考えさせられた気がした土曜の午後であった。

ちなみに高齢者の方が躍っている際に
前方の画面にそのBGMの元になった映像が
映されていたのだが、
その映像は見たことのある俳優さんが踊っていた。

気になって後で調べてみると2005年に公開された
メゾン・ド・ヒミコという映画のワンシーンらしい。

誰がこの映画のこのダンスのシーンを
演じようと言い出したのだろうか。

こういうストレートではない面白いチョイスができる高齢者に
自分もなりたいと思う。


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