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成長と地雷

うちの妻は地雷が多い。

と少なくとも私は思っている。

地雷とは何かというと、
踏んでしまうことで怒りが爆発してしまう
話題のことである。

妻と付き合い始めたころ、
私は地雷の存在に気付いていなかったので
妻がなぜだか急に不機嫌になって
一体何事かと思ったことが何度もある。

だが、付き合って、結婚して一緒に生活していると
少しずつ地雷の位置がわかるようになり、
今では無意識のうちに地雷の位置を避けて
生活できるようになった。

地雷を踏まないようにしていれば
平穏に過ごすことができるのだが、
そんな私に最近一つの悩みの種ができた。

それは息子が最近時々その地雷を
踏んでしまうことである。

息子は今小学5年生。

いわゆる思春期に入る年齢になり、
心理的にも少しずつ母親と離れたいと
思い始めたのであろう。

これまで妻が何かを言うと比較的素直に
それを受け入れていた息子は
少し反抗的になってきた。

それ自体は全く問題ないことであるし、
誰しもが一度は通る道であろう。

あまりハッキリとは覚えていないが、
ちょうど小学校高学年ぐらいの頃から
母と一緒に歩くのがなんとなく
恥ずかしいと思い始めた記憶がある。

彼にもそんな時期が来たのかと少し
うれしい気持ちすら抱えながら
息子の様子を見ていたのだが、
妻は少し反発する息子の様子が
面白くないらしい。

つい反発する息子に少し強制するような言葉を
かけてしまう。

すると、息子がその言葉に反発して
妻に言い返す際に、
いわゆる地雷を踏んでしまうというケースが
ここ最近出てきたのである。

いうまでもないが、
かつて付き合っていた頃に
私が無神経に踏んだ時とは妻の反応は違い、
息子相手なので大きく爆発することはない。

だが、傍から見ている私からすれば
このやり取りはとてもハラハラしてしまうのだ。

私が中学生ぐらいの頃、
当時私は友達の影響で野球を見ることに
少しだけハマったことがある。

自分自身はプレーしたことがなかったので
詳しいというほどではなかったが、
特定の球団の選手について詳しくなっていた。

私の父は野球をみるのが好きで、
我が家では否応なくテレビでは野球が
放送されていたので、
その頃はよく家族でそれを観ていた。

そんなとき某球団を応援する意味で
母がある投手に檄を飛ばす言葉を発した。

だが、その応援の言葉には間違いがあったことに
私はすぐに気が付いてしまった。

それは違うと優しく訂正すればよかったのだが、
当時の私は「母さん、知ったかぶりせんといて」と
冷たい言い方をしてしまったのだ。

すると母の表情は急に曇り、
そこからしばらく(恐らく数日だったか)機嫌が悪い状態が
続いてしまったのである。

言い方が悪かったと謝ろうにも
なかなかそれができず、
結局母が自然に機嫌を戻すまで私は
ただ待つことしかできなかった。

この時、私は地雷を踏むことの怖さを
実感したような気がする。

恐らく息子はこれまで軽く妻の地雷を
踏んだことは認識しているだろうが、
それが大きな爆発をしなかったので
安心しているのであろう。

だが、このままではいつかどこかで
大きな爆発を生んでしまうだろう。

果たして私は彼にこのことを教え、
地雷を避けるようにするべきなのだろうか。

もちろん、地雷の中でも妻の尊厳を傷つけるような
発言はさせてはならないので、
それについては息子に釘を刺しておこうと思うが、
私の答えはNoであると思った。

思春期に親に反発することは
彼らにとって重要な成長のプロセスである。

そんなプロセスに私達親が介入してはならないし、
地雷を踏んで失敗したという経験は
必ず後の彼にとって大切なものになるだろう。

正直私としては息子と妻が話をすると
少しハラハラしてしまうが、
これも彼の成長の証と思い、
耐えなければならない。

今日は水曜日。

子供たち二人とも習い事がない日は
何かしら小さな小競り合いが始まりやすい日でもある。

少し肝を冷やしながら息子の成長を
味わってみようと思う。

ちなみに地雷という言葉を聞くと
私の頭の中には無条件に子供の頃見た
”宇宙忍者戦ジライヤ”という戦隊モノが
浮かんでくる。

調べてみると私が4~5歳ごろに
放映されていたものらしい。

内容は特に覚えていないが、
子供の頃の私にとってそれだけ戦隊モノは
印象的なものだったのだろう。

息子が妻の地雷を踏んで爆発が起きた時には
ジライヤに変身できるように
今から練習しておこうと思う。


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