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ココロウゴクケイケンヲセヨ

先日妻と娘が買い物に行った際に
何やら懐かしい黒い不織布のバッグを
持ち帰ってきた。

TSUTAYAのレンタルで渡される袋である。

ちょうど買い物に行った場所の近くに
TSUTAYAはあるが、
まさか何かを借りてくるとは思っておらず、
娘に何を借りてきたのかを尋ねると
どうやらクレヨンしんちゃんの映画らしい。

娘が使っている子供用のタブレットでも
アニメの映画は色々と見れるので、
ここ最近わざわざTSUTAYAで借りることは
殆どなかったのに一体なぜだろう。

そう思い聞いてみると、
クレヨンしんちゃんの映画はAmazonなどでも
あまり出てこないらしく、
何作か見たことのない映画を借りてきたという。

1週間で返却しなくてはならないので
早速子供たちはその中から1本の映画を観始めた。
(見始めたのこちらの作品↓)

我が家でブルーレイを見ようとすると
リビングダイニングに設置された大きなテレビでしか
再生することができないので、
こうしてレンタルの作品を観るとなると
私達親も否応なく観ることになってしまう。

ちょうど家事をするところだったので
私もその作品をながら見をして、
1本観終わった。

映画の内容自体はとても面白く、
最後までハラハラ展開あり、
かといってクレヨンしんちゃんらしさは
ちゃんと映画になっても残っており
非常に印象に残る作品であった。

とても面白かったと子供たちと言いあいながら
その日の視聴を終了し、
そこからは特に映画を観る事なく過ごした。

そんな日の翌々日。

家に帰ってみると、何やら玄関先にいても
騒がしい音が聞こえてきた。

どうやら何か映画を観ているらしい。

そう思い部屋のドアを開けると、
先日観たはずの映画を再び娘が観ようと
しているところであった。

どういうわけか子供が同じ作品を
何度も繰り返し見る傾向があることは
子育てをした経験のある方なら
ご存知だと思うが、
我が家の子供たちも典型的なソレである。

息子が小さい頃にはカーズの映画をレンタルして、
ビデオテープならば穴が開くほど観たし、
娘がもう少し小さい頃にはプリキュアの映画を
無限に観ていた。

娘は現在7歳であるが、いまだにその傾向は残っており
同じ映画を観たいと思ったらしい。

だが、息子はそれに反発していた。

10歳の彼の感覚はもう私たちに近いのだろう。
私も内心同じ映画をもう一度観たいとは
思わなかった。

もちろんストーリーを知っているから
何度も観るのは退屈だということもあるが、
私がもう一度観たくないと思うのには
何だか別の理由があるような気がした。

一体なぜ私は一度観たこの映画をもう一度観たいと
思わないのだろうか。

そう考えた時、ふと自分の心の中に
小さな凹みのようなものがあるような気がした。

この映画ではストーリーの中でしんのすけ達が
未来のしんのすけのフィアンセに連れられて
未来の世界にやってくる。

そこで、主要な登場人物の未来の姿に出会うのだが、
彼らの変化を観る事は1度目に視聴した際に
とても楽しみなポイントであった。

あのキャラは未来ではどうなっているのだろう。

そんなワクワクを抱えながら1度目の視聴をした。

概ね私が想像した未来の姿と
映画の中の姿はそれほど差異はなかったものの
少なからず私にとって心が動くポイントであった。

これ以外にもいろいろと映画の中には
心が動くポイントが盛り込まれており、
1作品を観る中で私は小さなショックを何度か受けた。

この映画は最後がハッピーエンドなので
あたかもそんな心の動きなどなかったかのように
観終わった後はスッキリしたのだが、
もう一度この映画を観ようとすれば
あの小さなショックを再び受けなければならない。

それが何だか嫌だと感じていたのだ。

これはある意味心に小さな傷のようなものが
出来ているのと同じではないだろうか。

映画の中で心が動く経験をすることは
心に小さなダメージを受けることと
似ているのだ。

だが、そのダメージは時間が経てば治ってくる。

そうして心が動いてダメージを受けて治るのを
繰り返していると、
少しずつ心が動くことに慣れてきて
刺激に強くなっていく。

映画を多く観る人はこの刺激耐性が強くなっているので
沢山心が動いても問題ないし、
そもそも刺激に慣れてしまって少々の刺激では
心が動かないこともあるだろう。

私はこの半年ほどずっと洋画を観続けているが、
そのおかげで比較的心が動く体験に対する
耐性はついたつもりであった。

だが、今回一度観たクレヨンしんちゃんの映画を
再び観ようとすると、
そのダメージがまだ癒えていないような気がした。


以前に読んだこの本の中で
映画を観る際に心が動くようなシーンで
早送りをしてしまったり、
予め映画のあらすじをネタバレさせた状態で
映画を視聴したりする人が多いことが書かれていた。

これは人々の心の動きに対する耐性が
低くなったことによる影響ではないだろうか。

昔に比べてテレビのコンテンツも
教育の場でのイベントもかなりマイルドになったと
今40歳の世代としては感じている。

色んなものが誰にでも優しくなったという反面、
刺激はかなり弱くなったということでもある。

そうして低刺激な世の中で心が動く経験を
あまりせずにいると、
心が動くダメージを怖がるようになる。

かく言う私も映画を観ているとはいえ、
刺激の少ない世の中に慣れすぎて
クレヨンしんちゃんの映画を再び観ることに
抵抗を示してしまうようになった。

これが決して悪いということではないが、
心が動く経験が少ないということは
私たちが思い切った決断をしたり、
大胆に行動をしたりするうえでは
マイナスに働くことであろう。

私たちが何かをする際には少なからず
心にストレスがかかるし、
いい意味でも悪い意味でも心は動く。

それも含めて楽しめるぐらいでないと
新しいことにチャレンジできないものであるが、
世の中に刺激がなさ過ぎて心が動くことを
極度に恐れるようになれば、
私達は決して思い切った行動などできないだろう。

そんな刺激が少ない世の中でも
思い切った行動をとれる人はいるが、
それはほんの一握りの人だけである。

ある意味、刺激がない世の中というのは
チャレンジできる人とそうでない人の
二極化を強める世の中でもあるのだ。

そんな世の中においても子供たちには
できればチャレンジをする側にいてほしいと思う。

チャレンジすることで自ら見える景色を
選択して変えていけることは
とても楽しいことだからである。

そうなってもらうために私達親にできることは何か。

それはできるだけ彼らの心が動く経験を
作ってやることであろう。

何かを体験させることでもいいし、
旅などもまさに心が動く瞬間が多いものである。

学校行事も刺激が少なくなっていく中で
そのような機会を作ってやれるのは
やはり私達親しかいないと思うのだ。

今日は土曜日。

どんな心が動く体験を彼らにさせてやろうか。
腕の見せ所である。

ちなみにこの記事を書いていると
頭のなかにプッチモニの”ちょこっとLove”が
流れだした。
「おやおやもっと刺激が強いのお望みですね?」
というフレーズから連想したらしい。

何とか消そうとすればするほど
曲が止まらなくなる。

そいつは困った。


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