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通勤時間の使い方革命

先日通勤でバスに乗っていた時のこと。

いつもは空いているバスがその日は
座席がおおむね埋まっていた。

帰りのバスはいつも一人掛けの席に座り、
20分ほどの仮眠をとるのが私の日課。

だが、その日空いていたのは
バスの進行方向に対して横に体が向く
4人掛けの席のみであった。

途中で誰かが降りれば一人掛け席に移ればいい。

そう思った私は4人掛けのこの席に
座ることにした。

私がその席の端に座った時には
既に反対側の端に30歳前後と思われるお兄さんが
座っていた。

彼は耳にイヤホンを入れており、
スマホの画面を凝視していたので
音楽か何かを聞いているらしい。

そんなことを思っているとバスが発車した。

本当はこの座席でも寝られればいいのだが、
どうしてもバスは発車や停車が多くなるので、
この席だとその度に体が揺れて安定しないので
寝にくい。

なので、私は一人掛け席に座れるまでは
本を読みながら過ごすことにした。

そうして次のバス停をバスが通過しようとしたとき、
私は横目に何やら揺れる人の姿が
あることに気が付いた。

時々この座席で眠りについて、バスが揺れる度に
体が揺られてしまう人を見かけるが、
恐らくあのお兄さんも眠ったのであろう。

そう思っていた私であるが、
何となくバスの動きに対してその動きは
大きすぎるような気がした。

もしかすると何か病気の発作なのかもしれない。

そう思い、お兄さんの方を凝視すると
驚いたことにお兄さんは聞いていた音楽に合わせて
ヘッドバンキング(通称ヘドバン)をしていたのである。

これまで私は電車やバス通勤の中で
色んな人に出会ってきた。

その中にはインパクトのある人も色々いたが、
ヘッドバンキングをする人はさすがに初めてであり
私はお兄さんに向けた視線を
すぐに外すことができなかった。

流石に見すぎるのは失礼だと思い、
見るのを止めたが、
お兄さんは自身が頭を振っているからか、
全く意に介していない様子で
引き続き頭を振り続け、音楽を味わっていた。

私はそのお兄さんの姿をみて
何だか羨ましいような感情が湧いてくるのを感じた。

それはなぜか。

どこでも自分の世界に思い切り入り込むことが
できるからである。

私は長距離通勤なので初めて会う方に
そのことを説明する時に、
「電車の中では本を読んだり映画を観たりできるので
楽しみな時間でもあります」と
説明することが多い。

もちろんそれは嘘ではないし、
実際本も映画もいつも見ているのだが、
本当は思い切り音楽を聞きたいと思うこともあるし、
何なら歌いたいと思うこともある。

だが、公共の場所でそれはできないし、
音楽に思い切り体を委ねてノることは
恥ずかしさ故にできない。

もちろん本を読むことも映画を観ることも
私は大好きであるが、
日によって消去法的にそれらを選んでいることが
あるのも事実なのだ。

だが、今回見たお兄さんはバスの中でも
人目を気にすることなく音楽に浸り
ヘドバンまでしている。

それはとても気持ちいいだろうし、楽しそうに
思えたのである。

しかも、お兄さんのこの行動は
基本的に誰にも迷惑をかけていない。

確かに私も含め数人は驚きはしたが、
頭を振る範囲に人がいるわけでもなければ
音が外に漏れているわけでもない。

完全に人に迷惑をかけずに
自分の世界を味わっているのが
とても羨ましいと私は思った。

これからもこの働き方をする限り
通勤時間はどうしても付きまとってくるし、
その時間が私の人生に占める割合は
間違いなく大きなものになる。

この時間の使い方を変えることは
私の人生を変えることに他ならない。

ヘドバンのお兄さんほどは難しいとしても
少し自分の時間の使い方を工夫して
幅を広げてみてもいいのではないか。

そんなことを思わされる夕方のバスの中であった。

ちなみに私はそこからほどなくして
一人席を確保して眠りについたが、
気が付くとヘドバンのお兄さんは消えていた。

どこかのバス停で降りたのであろう。
同じ路線に乗っていればきっとどこかで
またこのお兄さんに会うかもしれない。

その時には私も一緒にヘドバンをしているかもしれない。

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