所要時間の目算は記憶に頼ってはいけない
夏休みも残すところあと2週間と少し。
息子の夏休みの宿題の様子を
昨日確認してみると、
問題集系はほぼ終わっているものの
制作系が全くの手つかずだと判明した。
我が家は妻も私もフルタイムで
働いているので、
息子は平日は学童に入っている。
なので、制作系の宿題をやるチャンスは
実質もう数日しか残されていない。
しかし、当の息子はまだ日があると
余裕な様子である。
基本的に宿題の進捗は本人に任せているが
これではマズいと思い、
昨日息子にこの状況を説明したものの
あまりピンと来ていない。
そこで、それぞれの制作にどのくらいの
時間がかかるかを一緒に考えて
それらを足すと何日必要かを
算出することにしてみた。
最初、息子の予想する所要時間は
どれも異常に短く、息子の計算通りなら
1日ちょっとで終わる予定になった。
しかし、それぞれの制作を
タスク分解してみると、
到底そんな時間では終わらない。
例えばポスター制作ならば、
模造紙の準備から、レイアウト検討、
下書き、レタリング、絵具準備
色塗り、下書き消し、タイトル記入
軽く見積もってもこれだけのタスクが
その中に含まれている。
息子はポスター制作を実質2時間で
終了させると考えていたが、
タスク分解してみてみると
どう考えても丸半日以上の
作業になることに気づいたようである。
そこから慌てて読書感想文を
書き始めた息子であるが、
これも他の制作と同じく
時間の見積もりが甘く、
昨日約半日をかけて仕上げていた。
今から2週間少しでの巻き返しを期待して
息子から求められればサポートを
していきたいと思う。
と、ここまで息子の話をご紹介したが、
実際同じようなことは私たち大人の
世界でも起こっているものである。
当初想定した所要時間の目算が甘く
後で苦しくなることは仕事においても
しばしば直面する。
確かに全く初めて経験することならば
どのぐらいの時間がかかるかの見積もりは
非常に難しいものであるが、
その場合には所要時間の目算は
やや長めにとるものである。
むしろ、目算が甘くなるのは
過去に経験したことのあるタスクの
ほうなのである。
ではなぜそんなことになるのであろうか。
それは過去の経験を塊として記憶している
からである。
例えばバーベキューをすることを
思い出してみてほしい。
私たちの記憶に残っているのは
バーベキューを食べて楽しんでいる
風景である。
しかし、その前後には無数のタスクがあり
準備し始めから片付け完了までは
かなりの時間を要するものなのである。
一連のイベントを一つのタスクとして
塊として記憶していると、
その中に潜んでいる多くのタスクが
あたかもなかったかのように見えて
しまうものなのである。
先ほど例に出したポスター制作も
恐らく息子の記憶の中には
パレットに絵の具が乗った状態で
色を塗っていく様子だけが
残っていたのであろう。
たしかにそれだけなら2時間もあれば
終わることができるが、
実際にはその前後に多くのタスクが
潜んでいるのだ。
では、このような目算の誤りを
どのように回避できるのだろうか。
答えはシンプルで、タスクを分解する癖を
付ければいいのである。
カレーライスを作るという仕事なら
適当に目算するのではなく、
食材を買いに行って、お米を洗って炊いて
野菜の皮をむいて、、、、
という一連のタスクを可能な限り
洗いだしてみたうえで所要時間の
目算を出してみれば、大きなズレを
防ぐことができる。
私たちの記憶というのは思っているよりも
曖昧でいい加減なものなのである。
それを理解したうえで、
その曖昧な記憶に頼らない方法を
しっかりと決めておくことが大切なのだ。
8月は仕事においても稼働日数が少なく
仕事にかかる時間をしっかりと
見積もらないとあっという間に手一杯に
なってしまいがちである。
バタバタしてしまわないためにも
所要時間を目算する前に
タスクを分解してみてはどうだろうか。
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