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書くことばでありながら話すことばであり。
ことばには、
「話すことば」と「書くことば」という
ふたつの種類があると思うけれど、その
ふたつのことばのちがいってえのは、
ぼくはよくわかっていない。
(頭の中や心の中で「思うことば」というのも、
あるとも思うけど、今回は
省いて考えるといたします。)
「話すことば」も、「書くことば」も、
どちらもことばではあるとしても、
性質はちょっとちがうとも思える。
でも、どういうふうにちがうかとかは
やはりうまく言えないな。
先日、
谷川俊太郎さんの訃報を
ニュースで拝見いたしまして。
その日のテレビのニュース番組の中で、
谷川さんの詩作品を紹介されるときには、
谷川さんが、ご自身の作品を
朗読なされている映像も流れておりました。
また、ぼくはこのごろYouTubeでも
谷川さんが朗読なされるお姿を観ながら、
なんだか、ぼくは、詩と朗読の
関係性みたいなことについて考えていた。
つまりはさ、詩とは
「書くことば」だと思うけれども、
詩を朗読するとなると、その詩は
「話すことば」に成ってゆく。
詩とはなにか? ってゆうのも
ぼくはよく知らないし、ましてや、
詩なんて記せないけど。
詩を読むときには、
エッセイやコラムや小説や論説文やインタビュー記事や
新聞記事やSNSのつぶやきやメールの連絡などとはちがった、
どこか不思議のような気持ちになる気もするけれども。
その気持ちだっても、どういうものなのか?!
というのはよくわからないな。
ぼくが、ちょっとばかり
イメージできそうなもので申しあげますと、
たとえば、歌の「歌詞」のことばは、
歌詞カードを見ながら、ことばとして
目で読むことができるけれど。
でも、その歌のことばとは、
本来、歌となって、つまり
耳で聴くことばなのだと思う。
声とメロディとリズムと演奏などが合わさりながら、
「歌のことば」は作られている。
ならば、
「詩のことば」とは、
どうなのだろう????
「詩のことば」は、「歌のことば」よりも
書くことばの側に重心がありそうだけれど、
でも、やっぱり、完全には
書くことばではなくって、
話すことばとしても、
成り立っているものなのかもしれない。
つまり、
書くことばでありながら
話すことばであり、かつ、
読むことばでありながら
聴くことばであるのかもしれない。
そんなことばは、もしかしたら
「詩」しか無いのやもしらない。
って、なんだか、思ったんだった。
谷川さんの『ベージュ』の朗読、
素敵だなあ〜。
と、想いながら。
令和6年11月28日