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価格はどうしてきまるか。
このごろのブログでは、お金について
じぶんなりに考えることをいろいろ申しているですが。
そのなかでね、ぼくは、ときおり
「お布施」ということばを記していて、
なぜ、ぼくは、その
「お布施」のことを思うのか?
ってゆうのをね、ちょっと考えていたんだった。
まずはさ、「お布施」とは、
読経などをしていただいた僧侶に対して
謝礼として渡す金品及び品物のこと、と存じますが。
現代においては、たとえば、
あるアーティストのを好きなファンが、
そのアーティストの作品を購入することを
「お布施行為」のように言われているとも思う。
本来行われる「お布施」と、このような
アーティストの作品を購入することを表す
「お布施行為」とでは、
どのようにちがっていて、かつ、
どのように似ているのか、というのは
くわしいことはぼくはよくわからないですが。
でも、なんだか、ぼくの素人なりに思うのは、
なんだかわかる気もする、と申しますか。
つまりはさ、「お布施」とは
お坊さんへ謝礼として渡されるものだから、
アーティストのファンもまた、日々、その
アーティストに励まされて過ごしているとするならば、
日々の感謝のお礼として、お金を介して
作品を購入することも、
「お布施」と呼べるような気がしている。
そしてまたぼくが、このような
「お布施」のことを考えるきっかけになったのはね、
以前読みました梅棹忠夫さんの著書
『情報の文明学』の中で、
「お布施の原理」のことが書かれていて。
このことを読んだとき、なるほど、
そんな考えがあったのか! って、
ぼくとしてはかなり衝撃的なのだった。
以下、書籍より引用を申しあげます。。。
じつはここで、情報の価格決定法についてひとつの暗示をあたえる現象がある。やはり宗教家の場合だが、坊さんのお布施である。あれの価格はどうしてきまるか。お経のながさによってきまるわけでもなし、木魚をたたく労働量できまるのでもない。お経の内容のありがたさは何ビットであるか、とうてい測定はできない。それでも、どこの家でもなんとなくお布施の額を限定して、それだけをつつんでわたす。
お布施の額を決定する要因は、ふたつあるとおもう。ひとつは、坊さんの格である。えらい坊さんに対しては、たくさんだすのがふつうである。もうひとつは、檀家の格である。格式のたかい家、あるいは金もちは、けちな額のお布施をだしたのでは、かっこうがつかない。お布施の額は、そのふたつの人間の社会的位置によってきまるのであって、坊さんが提供する情報や労働には無関係である。まして、お経の経済的効果などできまるのではけっしてない。
梅棹さんのおっしゃるには、
お布施の価格とは、お坊さん及び家の
「格」によって決まる。
そして、著書ではその後、
じっさい、すでにそういうふうにして
決定されているものもたくさんある、として、
「講演料」や「ラジオ・テレビの出演料」及び
「原稿料」を挙げられている。たとえば、
原稿料について考えるならば、つまり、
一文字を書くのにいくらかかるか、のような
原価計算はできないからこそ、いわゆる
「情報」の値段はどのようにして決まるか?
という、そこで考えられるのが、この
「お布施理論」であり、
このとき重要になってくるのが、
「格」である。
このように聞いて、
わかると言えばわかる気もするし、でも、
よくわからないと言えばよくわからない。
たとえば、
本一冊の値段、
雑誌一冊の値段、
映画一作品の値段、
音楽CD一枚の値段、
ブルーレイ一枚の値段、
ゲームソフト一本の値段、
スマートフォン一台の値段、
サブスクサービスの一月の値段、
ライブの鑑賞チケット一枚の値段、
などなどなど、その価格が
どのようにして決まっているのか?!
って、ぼくはまったく存じていない。
それは、つまり、まさに
「ブラックボックス」とも言えるかのごとく。
音楽CDならば、昔から
アルバムは3,000円、
シングルは1,000円、というふうに
だいたい一律になっていて、そこに
DVDなどの封入特典が入ることによって、
値段は高くなる。つまり、
値段が一律ということは、その作品が
どれだけの時間及び労力で制作されたのか、
とか、また、梅棹さんおっしゃるような
そのアーティストの「格」みたいなことも、
そこでは関係ない。
新人から大ベテランまで、
みな、同じ、価格設定になっている。
このことだってもね、
ほんとうにそれがよいかどうか、
ってえのはぼくにはまったくわからないけれど。
梅棹忠夫さんはさらに著書の中で、
これからの時代、お布施の原理が
最大の価格決定原理になってゆくのではないか。
つまり、情報産業とは、本来きわめて
社会的・公共的な性格なものなのだから。
とのようにもおっしゃっている。(同著62頁より。)
梅棹さんおっしゃる「格」とは、つまり
「ブランド」のこととも思うし、また、
音楽や本などの作品というものには
「宗教」的な部分もあるとも思えるし。
ならば、この現在においても
「お布施」のごとくの考え方によって、
社会が回っている、
というふうにも考えられるのかなあー。
ってゆうところまで考えながら、
この先はぼくはまだよくわからないな。
月日は百代の価格にして?!!
ゆきかふ年も又旅人なり!!!
令和6年12月8日