【ある日の毒親日記】
訳あって、昨年から母とは離れて暮らしている。
今現在、私が暮らすこの土地は、生まれて始めて、自分で決めた場所でもある。
大袈裟だけど、引越に関しても勿論 私の意志や気持ちが汲まれることなどなかったので、たったこれだけが、とても新鮮なのだ。
そんな 離れて暮らす母との 出来事。
先日 母に欲しいと言われていたものを箱に詰め、送ったのだが、いつもならすぐに届いたことへ連絡があるはずが今回は一日経っても ないことに、私は荷物が届いていないのかと不安になっていた。
年末だからなのか、それとも、などと頭の中が思考で騒がしくなった。
丸一日 経っても何もないというのは、
やはり届いていないのだろうか。
中には生ものではないけれど、幾らかの食べ物も入れてあるので気にかかる。
なにより、瞬時に浮かんでくるのは、早く手元に来ないことでまた文句を言われるかも知れないということや、ひとり暮らしではないにせよ、母の手元に届けてくれず、母はまたそういった対応を受けて嫌な気持ちになるのではと推測したりと、私はモヤモヤしていたのだ。
だけども、母親に電話をするのも億劫で、なにせ すぐに口論へ突入してしまうので、どうしたものかなぁと渋っていたのだが、
食べ物を入れていること、やっぱり嫌な思いをさせられていないかなんてふうに、母親の事が気がかりで荷物を送って二日目の朝に電話をすることにした。
なんと、届いたその日に きちんと母の手元に渡してくれていたのである。
にも関わらず、一報もくれないことに
もやもやと燻る私の心。
自分の欲しいものが揃っていなかったことと年末の挨拶のときでいいやと、母はそう判断したうえで 放置していたのだった。
人には人の価値観があるけれど、私は
一報は欲しかったのだ。
以前、手元に届くまでに一悶着があったので今回は荷物を出したことは敢えて言わずにいた。
まだか まだかと、マイナスに捉える母に考慮したつもりで、サプライズも兼ねて、敢えて黙っていた。
なのに、これだ。
『本当は○○が欲しいんだけど…』
一切の悪意や悪気なく、私の心を抉る母。
私事ではあるが、自身を取り巻く環境がガラッと変わった中で用意した、少し遅めのクリスマスプレゼントのつもりだった。
手紙も書いた。
欲しいと言っていたもので、今回 買えるものや送れるものは揃えたつもりだった。
なのに、『届いたよ』の一報がない。
私も母も不安症なところがあるし、そういった報告はきちんと相手に伝えるようにと教育されてきた。
勿論、私に教育をしたのは母だ。
その本人が矛盾していることにも、私は
若干の違和感を覚えた。
とにかく、自分から電話をして、どうやら手元にきちんと届いたことには安堵はしたが、話ながらモヤモヤと何かを感じるのだ。
少しばかり、イライラしながら電話を切った。
その瞬間に込み上げる気持ちたち。
『ありがとう』と言って欲しいわけではなかった。これは本心だった。
ただ、喜んで欲しかっただけ。
確かに、欲しいものじゃなかったかもしれない。けれど、そこにかかっている労力や、
気持ちを受け取って欲しかったのだ。
これも、人それぞれなのかも知れない。
母を喜ばせるには、昔からそうだった。
母が欲しいものをピンポイントか、それ以上のもの。それ以外は喜ばない人だった。
いつも いつも この気持ちを味わってきたが今回は今までよりも俯瞰して自分の内側に向き合えたので、荒むことなく、すぐさまnoteに記録として打ち込むことが出来ている。
ただ、喜ばせたかった。喜んでほしかった。目には見えないけれど、自分の手元に届くまでにかかる、たくさんの人の労力や気持ちを受け取って欲しかった。
これも所詮、気持ちの押し付けなのだ。
荷物ひとつで ここまで感じる自分に面倒だなぁと思いつつ、『毒親はどんなときでも、毒親なのだ!!』という、結論に至った年末のある日のことであった。