男の育休 ある意味暇だけど余裕も時間もありません
はじめまして。30代前半、一応上場企業に勤める普通のサラリーマンです。4歳と1歳の2人の息子がいます。2020年の1月~5月まで育児休職(育休)取ってました。休職前は葛藤もありましたけど、結果とってすごいよかったと思っているので少しでも男で数カ月単位の育児休職をとる方が増えてくれるといいなと思ってます。ここでは簡単にコロナ禍中の育休を振り返って思ったことを書き連ねたいと思います。
<育休について>
育児介護休業法に定める従業員の権利です。子供が1歳の誕生日を迎える前日まで取得できます。国の制度として認められていますので、「会社に制度がない」という会社の言い訳(無理解?)は通用しません。男女どちらも取得できます。1歳で認可保育園に入れなければ1歳半まで、それでも認可保育園に入れなければ2歳の誕生日の前日まで期間を延長できます。併せて同条件で雇用保険から給付金も出ます(後述します)。夫婦が同時で取得することで期間を2カ月延長する「パパ・ママプラス」という制度もあります。
ここまでは国の制度なんですが、それぞれの会社でそれ以上の休職制度を設定していることも多いです。僕の会社(と妻の会社)は3歳の前日まで任意で育児休職を取得できます(保育園に入れなかった場合でも給付金は2歳の誕生日からは出ませんが…)。
あくまで休職です(育児休暇ではないです)。仕事していないので当然無給です(就業規則で有給になるケースもあるみたいですが)。会社に籍を置いてるだけありがたいって思え、ってことですね。
<給付金について>
無給ですが、前述のとおり育児休業給付金なるものがハローワークから出ます。半年間は月の給料の67%、それ以降は50%が出ます。「すくなっ」と思うと思いますが、計算の基準は総支給額で、育休期間中は社会保険の支払いが免除になります。また、この給付金は所得ではないので、課税対象になりません。よって、例えば翌年の住民税がとても安くなります。その辺を考慮すると、実は手取としてはほとんど普段と変わらない感覚です。ボーナス分は給付金の計算基準に入りませんので、ボーナス分が減収になる感覚です。
<なんで育休をとったのか>
まずは妻と一緒に育児をする時間を共有したかったからです。長男のとき僕は休職しなかったので、保育園に入れるまで妻だけが1年半ほど休職してました(妻も普通の会社員です)。その時から妻と2人目はさらに大変だろうし、自分も育休をとって2人で育児をする期間を設けようと話してました。次男の妊娠が分かった時に再び相談して、二人で育休をとる期間を数カ月設けることにしました。
次に、僕が一人で育児をする期間を一定程度設けたかったからです。長男が生まれてから少なからず夫婦間がぎくしゃくすることが増えました。いろいろ原因はあると思うのですが、その中の一つに育休をとっていた妻と働いていた僕の心理的な隔たりがあるのかなと思っていました。でもどこに隔たりがあるのかいまいちその時は理解ができなかったのです。当時の僕と妻の違いを考えてみると、僕は育児には積極的に参加することにしていたものの、平日の出勤前・帰宅後と休日はほぼ妻がそばにいました。一日妻が一人で友達に会いに行ったりすれば一人で育児することもありましたが、二日以上連続して一人で育児した経験はありません。なので妻には先に復職してもらって、僕が一カ月ぐらいは一人で育児する期間を設ければ、妻の気持ちを少しは理解できるかなと思ったのです(後述しますがこれはかないませんでした)。
最後に、育休をとる同僚や部下に対する理解を深めたかったからです。今は平のサラリーマンですが、将来僕も部下を持つ日がきっと来ます。そのころには男女双方の育休取得が当たり前になっているだろうなぁと思っていたので、自分が休職をとることで、彼らへの理解が深まるかなと思いました。
<なぜ生まれた直後じゃなかったのか>
これは男だからこそ可能なことなのですが、僕は次男が生まれた2019年1月から2020年1月の誕生日前日までの間、自由に育休開始日を設定することができました。同じ子供に対する復職後の育休の再度取得は認められていなので、女性は実質産前産後休暇(いわゆる産休。これは休暇です。法律で取得されることが事業所に義務付けれています。)が終了する産後8週後からそのまま育児休職に入るケースがほとんどだと思います(僕の先輩で産前産後休暇だけ(しかもいろいろあって出産の一日前まで働いてた)取って復職した猛者が今どきいましたが…)。
その点男の人はフレキシブルです。多くの人は、世話が頻回でかつ母体が不完全である生まれた直後から育児休職を取得すると思いますが、そうではなくて、生まれて3カ月後から、生まれて1年後からなど、自由に育休開始日を選択できます。その中で僕は妻と相談したうえでほぼ1年後を選択しました。
理由はいろいろあるのですが、出産直後は妻の実家も頼れるので、むしろ長男がやんちゃな中次男が頻繁に動き始める1歳ごろからのほうが大変になると思ったこと、実質保育園には4月からしか入園が難しいので、その前段で夫婦の育休期間、僕一人の育休期間と設けるとなると、1月~2月ごろは夫婦で育休(かつ妻の復職支援)、3月~4月は妻が復職し僕が一人育児、4月~次男入園・慣らし保育、5月に僕が復職という流れがスムーズだなと思ったことが大きいです。なおこの目論見は待機児童問題やコロナによりもろくも崩れ去ります…。
<僕の育休>
次男ができたことを会社に報告したときから、折に触れて直属の上司には「育休とりますから」と言ってました。まだまだ男の育休は少ないと思うので、決まったら早めに上司には何度も言っておいた方がいいです。
さて、年末に次男が入院するというイレギュラーな事態からずるずると育児休職期間がスタートしました(次男は一応完治してます)。会社の人には最終日までにこれまでお世話になった人々に色々報告してまわりましたが、おおむね好反応でした(嫌味を言ってきた人は一人だけでした)。1月は武漢って名前だけ聞いたことある中国の街で変な肺炎が流行ってるみたいな話も少しは話題になってましたが、僕は「武漢の人口1,100万人って、、、中国やべぇ…」ぐらいに思ってました。
僕の住んでる自治体は育児休職で上の子の保育園が退園にならない決まり(なるところもあるのです…)だったので、長男はそのころは保育園に通わせてました。1月の後半には最安の日程を組み合わせて航空券を手配してローマに4歳、1歳連れて旅行に行きました(しばらく行けなそうですね…)。我ながら4歳1歳連れて13時間のフライトは頑張ったと思います。ローマには春節時期で中国の人もいっぱいいました。日本人も結構いました。あのころは楽しかったです。ローマ滞在中に武漢の閉鎖がはじまって、中国の人が海外団体旅行行けなくなって、「なんかすごいこと起きてるなぁ。間違われて差別されないといいなぁ。」ぐらいに思ってました(まったくの杞憂でローマの人はめっちゃ親切でした!)。ローマから電車で1時間くらいのところにあるオルヴィエートという街が、山の上に街が広がってて、天空の城みたいで、眼下一面雲海みたいな感じですごいきれいでした。また行きたいなぁ。
ローマから帰ってくると、次男の保育園4月入園の合否が郵便受けに入ってました。「まー大丈夫だろー。何なら兄弟同園いけるだろ。」くらいに思ってたんですが、なんと記入できる6園すべて不承諾でした(この瞬間僕のいろいろな計画はすべて狂います)。後々調べると保育園の入園の決定の仕方って色々「えーっ」ってところがあるのですが、、、それはまた別の機会に。
2月は「コロナやばいかも?」ぐらいになってきたころですかね。でもまだ対岸の火事だった気がします。保育園に入れないことが分かったので、近くの無認可保育園に申し込みをしましたが、どこも反応悪。保活の難しさにうなだれました。僕も仕事を言い訳に無頓着だったし、もうちょっと去年のうちに無認可の保活しておけばよかったと少し反省、でも4月までにどっか空いてんだろ、何なら認可の2次調整もあるし。にしても兄弟別園で送迎がつらたにえん。ってくらいに思ってました。
2月の末に安倍さんが全国一斉休校要請を出して、街からティッシュが消えました。3月からは長男の保育園でも登園自粛要請が始まりました。我々のように育休を取得している家庭はできる限り登園自粛が呼びかけられました。結局長男は3月から今に至る(6月中も登園自粛要請)までの3か月間、どうしてもの事情があり預けた1回しか保育園に行ってません。うちは運よく夫婦二人で休職をとっていたのでまだましでしたが、それでも二人のこどもを家でずっと面倒見るのは本当に大変でした。
まずほかに頼る人がいません。もともとうちは双方の実家が遠いのでよほどのことがない限り祖父母に泣きつくことはないのですが、そもそも行動できないので「今もし夫婦でコロナ掛かって入院してもだれにも頼れない…」という精神的な重しがありました。それまでお世話になっていたファミリーサポート制度(市に登録している近所の方に1時間育児をやってもらう)やベビーシッターにもお願いできません。全部自分たちでやるのは大変でした。
次に、余裕も自分の時間もありません。朝は次男が超早い(毎日5時くらいに起きる)のでベッドで「あーあー」と言っている次男と6時とか7時とかにベッドから出ます。次男を遊ばせながら火を使って長男の目玉焼き調理して、そんなこんなしてると次男が壁に頭ガンガン打ち付け始めて止めに行って、すると長男が起きてきてトイレに連れてっている間に目玉焼き忘れて焦げて、みたいなそんな感じです(妻は夜間の授乳に疲れ果ててまだ寝てる)。頭打つとか目玉焼き焦げるくらいならいいですけど、一歩間違うとケガや火事、死につながります。その責任の重いこと。仕事以上にマルチタスク。しかも1個忘れると大惨事。そんな感じが朝起きてからずっと流れていきます。ほかにも掃除洗濯、昼食、こどもと遊んであげて、ちょっと目を離して家事すると長男が次男をひっぱたいて、みたいな感じで毎日「もう16時か、風呂沸かさなきゃ…」って言ってました。
でも、そのくせ結構暇だったりします。例えば昼寝の寝かしつけ。絵本を読んで寝室のシャッターを閉めて部屋を暗くして次男を抱っこするのですが、抱っこしている間は暇です。揺れてるだけです。子守歌とかうたってもいいです。でもだからといって自分の時間にはなりません。スマホなんか見ようものなら何故わかるのかこどもギャン泣きです。体勢はずっと立ちです。目を閉じて寝ていたはずなのに立ちがつらくて座ろうものならギャン泣きです。そしたらまた寝かしつけ1からやり直しです。揺れてるだけです。暇です。
こどもとの遊びも最初は楽しいのですがだんだん飽きてきます。「肩車やって」と言われてやってあげるのですが、「もう1回」が100回くらい(体感)続きます。首長族になっちゃいます。「早く飽きろ」と念じながら肩車します。暇です。でも自分の時間はありません。
そんな感じで3月から5月まで夫婦で閉じこもり育児をやってました。実は休職取得当初は4月の入園前提で育児休職期間を4月末までにしていたんですが、コロナもあって会社と相談して5月末に1カ月延長してもらいました。全然別な理由でこの時期を選んだんですが、結果的に二人の子供がどちらも在宅しているコロナの時期を夫婦二人で育児できたのはよかったなぁと思ってます。
次男の保育園は昨年度中は家のすぐ近くの無認可に決まりかけ、でもコロナでうやむやになり、どうしようか考えていたところ、4月中旬に、長男の園とは別の園に5月1日入園が決まりました。でも5月いっぱいは休園、6月中も登園自粛要請があっていけないので(まだ契約すらしてない)、次男はまだ保育園に1度も通えていません。7月1日から慣らし保育の予定ですが、東京アラートが発動しましたし、今後どうなることやら…。
さて、6月からは僕が妻より先に復職しました(妻は7月いっぱいまで休職の予定です)。昨日から久々に電車乗って出勤しましたが、減ったとはいえ混んでいる電車の出勤はつらいですね。まだ業務再習得段階は出勤しますけど、近いうちにテレワーク活用しまくります。やっぱ怖いもん。
<育休をとって感じたこと>
育休とってみてよかったとはっきり思います。何ならもっと長い期間とればよかったと早くも後悔もしてます。まず妻の負担を少しでも減らせたことですが、子供の成長をしっかり感じることができたこと、育児の喜びや大変さを感じることができたこと、そもそもの育休取得経験など、多くの気づきや学びがありました。夫婦間でしかコミュニケーションをとらない日々が続いたので、結構喧嘩したりもしましたが、家族の絆自体は深まったのではないかと思います。
あと、なんだかんだ自粛生活に慣れてきてからは夜子供が寝た後ランニングして10km走れるようになったりとか、おいしい唐揚げの作り方を研究したりとか、筋トレしたりとかいろいろやってました。妻もヨガはじめてました。これはたぶん二人で育休取ったからできた部分も大きいと思いますが、会社勤めしてたころから運動の習慣とか趣味の幅を広げることとかができたのでよかったです。
<復職して感じたこと>
5か月休んでも結構なんとかなります。使い物にならないポンコツになってるかと思ってたんですが、勤務の流れとか、PCの使い方、タイピングの感覚、資料格納場所とか、各システムのIDPWとか、なんとなくですが覚えてました。休職前の業務とは違う業務の担当を任ぜされたので、これから覚えることが増えていきますが、まあ何とかなるかな、という感じです。
それよりも育休中は家事育児のマルチタスクですげー頭使って効率的にうごくことを心掛けていたので、それが染みついたのか、休職前に気が付かなかった会社の非効率なところがすごく目についてます。まだ復職したばかりですが、この辺も育休での成長の成果として仕事にフィードバックできればいいなと思います。
以上、つらつらと長文となりましたが僕の育休について書いてみました。