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営業力のコアとしての国語力: ①論理とは相手のことを考えること

営業力のコアとしての国語力シリーズ(勝手にシリーズ化してますが・・・)第二弾は論理です。論理って堅苦しそうだけれども、実はお客様に寄り添う思いやりの態度が論理である、それが今回の趣旨です。


営業力の構成要素とコアとしての国語力

営業力を6つの大カテゴリーに分類
それぞれの営業力はイネーブルメント領域と生き様の二つに仕分けが可能

「営業力の構成要素: コアとしての国語力」という記事で、僕は営業力の構成要素を考えることによって、

・営業力にはトレーニングができるイネーブルメント領域(商材知識、顧客/業界知識、対話スキル、コアとしての国語力、活動、プロジェクト管理)と、トレーニングが難しい生き様(教養、好奇心、人柄、ネットワーク)の二つの領域が存在すること。

・この二つの領域に属するどの領域とも強く結びつく特権的な能力がコアとしての国語力であること。

・このコアとしての国語力とは論理的に考える力の礎となる「語学としての国語」であること。

・したがって、この国語力は難解な文学的な文章を味わうようなものではなく、正解が明確に存在している。したがって誰もがトレーニングできるイネーブルメント領域に属する能力であること。

を確認しました。詳細は下記のリンクの記事を是非読んでみてください(長いです。。小分けにすればよかったと反省。。)

この記事を書いた理由は、日本でもセールスイネーブルメントという概念が少しづつ広まり、それを支えるようなセールステックが勃興しているにもかかわらず、セールスの根幹である国語力に関しては省みられることがほとんどないという現状に対する危機感に起因しています。危機感というと偉そうですが、より正確にはすべての営業力のコアとなるのが国語力なのだから、これを鍛えないのは勿体ないよ!ということを単に書きたかったのでした。

そこで続編である今回の記事ではこのコアとしての国語力がどんなものなのかを論理と共感という切り口から考え、実際のトレーニング方法にも踏み込んでいきたいと思います。

論理ってなんだ?

そもそも論理とは何でしょうか。哲学者の野矢先生は「思考力」ではなく、「日本語の力の一つ」として論理をとらえます。

論理の力といっても、しばしばそう誤解されているような、「思考力」のことではない。もちろん論理の力を発揮するためには、なにげなく見過ごしていたところで立ち止まって念入りにチェックしたり、筋道を整理したりすることも要求される。だが、論理の力とはむしろ思考を表現する力、あるいは表現された思考をきちんと読み解く力にほかならない。それは、言葉を自在に扱う力、われわれにとっては日本語の力の一つなのである(強調は引用者による)。

野矢茂樹『論理トレーニング101題』(産業図書、2001年)、p1。

つまり、論理は自分の思考を明晰に表現し、他者の表現された思考をきちんと読解する力、すなわち読む・書くを基本とした国語の力ととらえることができます。こうした前提に立てば、論理の力は「地頭」といったような生得的なものではなく(そういう側面もあるのかもしれませんが)、後天的にトレーニング可能なものとして理解できます。

「読む・書くを基本」と書きましたが、明晰に思考を話すことや相手の話す言葉をきちんと理解することもこの論理の力に含まれます(話し言葉も包含される)。特に営業の場面ではお客様と会話を通して商談を進めるので、単に読み書きの力だけではなく、お客様の話をしっかりと理解し、自分の思考を分かりやすくお客様に伝える必要があります。その際に、この論理の力が重要になります。

例題

それでは実際に論理とはどんなものなのかを感じ取るために、ここで一つ例題に取り組んでみましょう。コロナ以降、お客様のもとに出向いて営業する従来の営業スタイルが減り、Zoomなどのオンライン会議ツールを利用した商談が一般的になった、という前提をふまえたうえで、

問. 次の文章で論理的におかしな点を指摘してください。

オンライン商談の増加に関して「営業の効率志向が行きすぎてしまっている」とPoetics社の営業担当である千葉さんは指摘する。「訪問営業は移動などもあるので一見時間の無駄のように見えますが、直接お客様とお会いすることでオンラインよりもお客様との関係構築が円滑になり、商談のクロージングまでの時間を短縮できます。そういう意味ではむしろオンライン商談よりも効率的なのです。」

さて、どうでしょうか?一読しただけではもしかするとなかなか難しいかもしれません。

千葉さんの冒頭の主張を見てみましょう。千葉さんはオンライン商談が増加していることに関して営業の効率志向が行きすぎてしまっていると述べています。つまり、営業において効率性ばかりを追い求める現在の状態に千葉さんは不満ないしは違和感を抱いていると考えられます。

続いて後半の鍵括弧内の千葉さんの発言を見てみましょう。いったん終わりの部分だけに注目すると千葉さんは訪問営業が「むしろオンライン営業よりも効率的なのです」と述べていることがわかります。つまりここでは二つの主張が存在しています。

  • 千葉さんはオンライン商談が増加していることに関して営業の効率志向が行きすぎてしまっていると述べている。

  • 千葉さんはオンライン商談よりも訪問営業の方が効率的だと述べている。

この二つの文はそれぞれ単独で見れば何の問題もないのですが、この二つの文の関係を考えるとどうなるでしょうか?一つ目の文では営業の効率志向の行きすぎを千葉さんは指摘しているのですから、後続する議論としては効率性ばかり重視するとお客様との関係を毀損してしまう、など、効率志向の問題点があげられるなら議論の筋が一本通るでしょう。しかし、千葉さんは訪問営業の方が効率的だと述べており、営業における効率志向の行きすぎという議論から逸れて二つの営業方法の効率性の比較を話題にしています。すなわち二つの文の主張は首尾一貫していないのです。

思いやりの接続詞

例題、解けたでしょうか?もし難しかったとすれば、それはなぜなのでしょうか?むろん、普段論理関係を気にせず文章や相手の言っていることを聞き流してしまっている、ないしはわかったつもりになってしまっているということもあるかもしれませんが、ここでの難しさの大きな要因として接続詞の欠如があげられるでしょう。というのも、同じ問題にたった一語付け加えるだけで、問題の難易度が下がります。先ほどの問題に一語足してみましょう。

オンライン商談の増加に関して「営業の効率志向が行きすぎてしまっている」とPoetics社の営業担当である千葉さんは指摘する。というのも、「訪問営業は移動などもあるので一見時間の無駄のように見えますが、直接お客様とお会いすることでオンラインよりもお客様との関係構築が円滑になり、商談のクロージングまでの時間を短縮できます。そういう意味ではむしろオンライン商談よりも効率的なのです。」

「というのも」という前述の文に対してその理由を示す接続詞を付け加えると、当然読み手としては「営業の効率志向が行きすぎてしまっている」という主張の理由が続くことを期待します。この接続詞があるかないかで議論の追いやすさは格段に変わります。

ここから次のことが言えるでしょう。

・接続詞をつかうことで聞き手や読み手は議論が追いやすくなる
・接続詞があると議論がうまく結びついていないことにも気づきやすくなる

つまり接続詞を使用することによって、聞き手や読み手の思考の負担を減らすことができます。これこそ相手のことを考える=お客様のことを考える姿勢だといえます。つまり、論理的であるとは頭でかっちになったり、パズルを解くようなものでも、頭の良さを誇示するようなものでもなく、相手のことを考える思いやりの態度なのです。

論理に共感をかけあわせる

さて、先ほどの例題を通して論理的であるとはどのようなことなのかを体感しようと試みたわけですが、ここで勘違いしてほしくないのは議論の整合性がとれていないことに気づきないさい、と言っているわけではない点です。もちろん議論の整合性がとれていないことに気付ける論理の力は重要ですが、実際の商談の場面で

「千葉さん、効率志向の行きすぎについて話していたのに、議論が逸脱してますよ!」

なんて指摘しようものなら商談は破談しますよね。。商談じゃなくて普段の友人とのおしゃべりでも険悪な雰囲気になってしまうでしょう。そうではなく、整合性がとれていない部分も相手の立場に立って補っていくことがとても大切です。先ほどの例題における千葉さんの二つの主張を再度見てみましょう。

  • 千葉さんはオンライン商談が増加していることに関して営業の効率志向が行きすぎてしまっていると述べている。

  • 千葉さんはオンライン商談よりも訪問営業の方が効率的だと述べている。

一つ目の文からは千葉さんがオンライン商談が増加していることで営業の効率重視の姿勢が行きすぎてしまっていないかという懸念を持っていることがうかがえます。

一方で二つ目の文からはオンライン商談よりも訪問営業のが効率的だと千葉さんが思っていることがわかります。なぜなら関係構築をするにはオンラインよりもオフラインの方が円滑になると千葉さんは考えているからでした。

この二つの文から気持ちとして千葉さんが訪問営業に重きを置いていることがわかります。しかも結局は訪問営業の方が効率がいいと考えていることから、必ずしも効率性を軽視していないことも推察されます。したがって、もし千葉さんに商談解析AI JamRollのような営業効率化ツールの商談をする場合(またまた宣伝でごめんちゃい・・・)、千葉さんが感じている訪問営業における関係構築のしやすさを掘り下げて聞きながら、一方でなぜオンラインだと関係構築がしづらいと思っているのかを聞いてみると千葉さんの懸念点をより立体感をもって理解できるようになるかもしれません。

このように、論理で相手の議論を追いつつも、論理だけでとらえられないところは相手の立場に立って情報を補ってコミュニケーションをしていく。この力を共感とよべば、論理と共感をかけあわせることで、よりお客様の真意に近づくことができるようになるはずです。

ところで千葉さんがどんな人がだんだん気になってきましたよね?そんなあなたはぜひこちらの記事も読んでみてください(何気に5,000view近くまで伸びている・・・)。

論理のトレーニング方法(参考図書)

ここまで例題を通して論理があたまでがっちな理屈なのではなく、相手のことを考える思いやりの態度であることを確認してきました。また、この論理と共感を掛け合わせることで、より相手の真意に近づける可能性に関してもふれてきました。

それではこの論理、どのようにしてトレーニングしていけばいいのでしょうか?答えはシンプルでただ練習あるのみです。練習には以下の本をおすすめします(まあ、ひたすら野矢先生推しですが・・・)。

・野矢茂樹『論理トレーニング101題』(産業図書、2001年)

「解説書なんかいくら読んだって論理の力は鍛えられない。ただ実技あるのみ」と帯に記載されている通り、実際の問題を通して論理力をトレーニングできる本です。この記事での例題もこの本を参考にして作ってみました。独習用のテキストなので、1人で最後までやり通せます。まずはこれ一冊やり通せば、だいぶ視界が開けてくるはずです。

自分と異なる意見の相手と対話をする。それこそ、論理が要求されるもっとも重要かつ典型的な場面である。独善的な精神に論理はない。論理的な力とは、多様な意見への感受性と柔軟な応答力のうちにある。

『論理トレーニング101題』、p6。

・野矢茂樹『新版 論理トレーニング』(産業図書、2006年)

『論理トレーニング101題』をこなしたら、続けて『新版 論理トレーニング』もやってみましょう。こちらはもともと大学での教科書として書かれているのですべての設問に解答がついているわけではないのですが、それでも練習問題には解答がついているので独習できます。この2冊をやり終えたら、日本語に対する感覚が鋭敏になっていること間違いなし。読解力はもちろん、書く力もあがるはず。それは目の前のお客様の考えをしっかりと理解し、お客様に対して適切な提案をできることにつながっていきます。

「論理的ではない」とは、ここの主張をそれだけ取り出して考え、それらの主張の間の関係をとらえようとしない態度である。すなわち、言葉を断片的にしかとらえられず、主張相互の関係をとらえることができないとき、その人は「非論理的」と言われてしまうことになる。

『新版 論理トレーニング』、p2-3。

・中嶋ひとみ著、野矢茂樹監修『それゆけ!論理さん』(筑摩書房、2018年)

『論理トレーニング』シリーズを経て、そもそも論理に対して俄然興味がわいてきた方は論理学に足を進めるのもまた一興。極めてわかりやすい入門書としてはこちらの『それゆけ!論理さん』がいいでしょう。もしくは『入門!論理学』や『論理学』にチャレンジするのもいいかもしれません。

次回予告

ここまで営業力の構成要素からコアとしての国語力を導き出し、その国語力を鍛えていくうえで論理という入口に入ってきました。次回はある文章が事実なのか意見なのかを考えていきたいと思います。乞うご期待!


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