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「頑張れ」は応援の言葉なの?


今年も一年がスタートして早くも3週間が経ちますね。皆さんはどんな一年にしたいですか?

年始のスタートに一年の目標を掲げたりしませんでしたか?

「今年は○○するぞ!」「続けるぞ!」「始めるぞ!」と気合いを入れて一年に挑み、頑張っている方もいるんじゃないでしょうか。


わたしも何か目標に向けて頑張ることは好きです。

365日ありますから、毎日積み重ねていけばその数は膨大になっていきますよね。

どんなにゆっくりな歩みでも、ゴールには一歩ずつ近づいていきます。たとえゴールに辿り着かなくても、継続することによって新しい発見や経験が必ず身に付きますからね。

「千里の道も一歩から」ということわざもあるくらいですから、頑張った分だけ結果も変わると思います。

目標を達するには、疲れていても、眠くても、多少無理することが必要になるときもあります。小さな努力をコツコツ積み重ねれば、膨大な自分の財産になって返ってきますからね。


自分が目標に向かっている話をすると、応援してくれる人もいます。

応援してくれる人は「頑張れ」と言葉をかけてくれることが多いです。

この「頑張れ」という言葉は「勇気をくれる」「背中を押してくれる」「励ましてくれる」など相手を力を与える応援の代表的な言葉ですよね。

そんな応援の言葉ですが、時に「頑張れ」の言葉が苦しくなるときがありませんか?

言われて力を貰えるのに、素直に受け取れない、ムッとするときないですか?


鬱の人に「頑張れ」と言葉を掛けるのは禁句とされています。

励ましの言葉のつもりで「頑張れ」と声掛けしても、鬱の人は「もっと頑張らなきゃいけないのか」「頑張っていないようにみられているのか」と感じ落ち込んでしまうからです。


これってわたしたちにも当てはまりませんか?

わたしは自分が頑張っても思ったようにうまく事が運ばず、苦しいとき、辛いとき、気持ちに余裕がないときに「頑張れ」の言葉は発せられると同様の感じ方をしてしまうときがあります。

それほど気持ちに余裕がなく、追い込まれている状態なのだと後になると気づきます。

自分自身をうまくコントロール出来ていないときほど、他の人の「頑張れ」に対して心が「言われなくても頑張ってるよ。」と反発しているのだと思います。

わたしの中で「頑張れ」の言葉には「もっと」と今より更に上を求める気持ちと、「私には関係ない」と突き放したような意味合いを感じるからだと思うんです。

「一緒に頑張ろう」ではなく、「独りで頑張れ」と言われていると感じるときがあるんです。

あくまでわたしの感覚的な話なので、皆さんに共通しているとは思いません。ただ言葉は受け取る側の心境によって意味が変わることは共通すると思います。

励ますために何気なく使用していた言葉が、知らないうちに相手を傷つけていたとしたら。言葉に違う意味が含まれているとしたら。

応援する側もむやみに「頑張れ」を使えなくなると思います。

相手がどんな状態で、どんな気持ちなのかを見極めてから言葉を選んだほうが良さそうですよね。


そうなると「言葉選びが大変」だと思う方もいると思います。

言葉でなくても、相手に気持ちは伝える方法はあります。

本人の姿勢や行動に対して「支持する」「認める」だけでも充分に気持ちは伝わります。仲間であること、見方であることを伝えられます。

他の人に自分の気持ちを分かってもらえるだけで、「そんなに無理しなくていい」「今でも十分やっている」などと自分で自分を苦しめている気持ちが楽になるんです。

相手を思う気持ちが、相手の求めている言葉に変化して心に届きます。そして活力となるのだと思います。







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