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狭倉朏(はざくら・みかづき)
2021年6月4日 12:24
第212回 短編小説新人賞 もう一歩の作品「翠ちゃん、髪伸びたわね」 金曜日、リモート会議の後の個通で上司にやんわりとそう言われた。 言われてみれば家に閉じこもって長らく髪を切っていなかった。いくらリモートワークで社内の人間としか接しない業務とはいえ、社会人としては目にあまるレベルの髪の乱れっぷりだったのだろう。 上司はいつもこういう回りくどい注意の仕方をする。同僚にはそれをねちっこいこ
2021年7月21日 19:40
突然降り出した雨に喫茶店に駆け込んだ。 タイトスカートのポケットからハンカチを取り出して最低限の水滴を拭ってから、席に案内してもらう。「えーっと、アイスコーヒーで」 メニューをろくに見ずにそう頼む。まさか喫茶店にアイスコーヒーが置いていないこともないだろう。「かしこまりました」 季節は夏、ただでさえ外が暑くて汗をかいていたところにこの雨とは、運がない。 私はぼんやりと外を見る。ガラス
2020年10月5日 04:48
第208回短編小説新人賞 もう一歩 流氷の合間、冷たい海の中へと沈んでいく。 口から空気が抜けて、四肢から力が抜けて、命から魂が抜ける。 最初は、身を切るような冷たさに凍えた。しかし気付けば冷たさすら感じなくなって、石(いし)坂(ざか)柘榴(ざくろ)は海の中から空を見上げていた。太陽の光が水の向こう、遠くに見えた。自分は死ぬのだな、彼女はそう確信した。 自分がいつか死ぬことについて、考え
2020年5月6日 00:00
かつて好きだった男の死体が川から上がった。「……白髪、増えましたね、紫先生」 清潔なベッドに横たわる遺体を眺めながら、私は力なく呟いた。 すでに様々な処置のなされたあとの遺体はとても綺麗だった。 死んでいるなんて嘘みたいだった。 さすがに記憶に残る紫先生の顔と比べると老いを感じさせた。 しかし死んで当然という年齢にも見えない。 この人はそういえばいくつになるのだろう。 私は